*** 2002年10月2日-4日 オーストリア ***
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1.from train1 | 2.from train2 | 3.from train3 | 4.from train4 | 5.hill at a back of Steyr |
6.Dr. & Mrs Krisper on the observation platform |
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7.Dr.Krisper & I | 8.Mt.Grosser Priel (2523m) |
9.Mt.Hoher Nock (2373m) |
10.MAGNA Steyr people |
11.from Hotel Mader |
12.Enns river & Parish Church |
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13.Enns river2 | 14.St.Michael church1 |
15.St.Michael church2 |
16.at MAGNA Steyr2 |
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17.rose in Schonbrunn garden |
18.Schonbrunn garden1 & Gloriette |
19.Schonbrunn palace1 |
20.Schonbrunn palace2 |
21.byway to Gloriette |
22.Gloriette1 |
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23.Schonbrunn palace & Wien |
24.Gloriette2 | 25.Taxus cuspidata | 26.Schonbrunn garden2 |
27.old lady in Schonbrunn garden |
10月2日午前中にオーストリアLeobenの名門Montan大学と国際交流協定を締結後、MAGNA Steyr社と最新解析技術の打合せ を行うため鉄道でSteyrに向かう。 Leoben駅を出発して20分程過ぎると、雪を頂いた標高2千数百メータ級の山並みが現れる。この辺りからLinzへの乗換駅と なるSelzthalまでは、ハイジの世界のような景色が次から次へと展開する。Selzthal駅でローカル線に乗換へLinzに向かう。 この路線は、先程の山並の北面を行く事となり、間近に見える雪山は荒々しく迫力がある。 午後4時頃St.Valentin駅に到着する。当初はこの後MAGNA Steyr社とミーティングの予定であったが、諸般の都合で翌朝に 延期し、急遽Steyrの裏山Dammberg(標高約800m)にDr.Krisper御夫妻と登ることになる。思えば10年前に初めてSteyrを訪問 して以来、この山に登るのはこれで3回目である。Dr.Krisper邸にてトレッキングシューズに履き替え、車で登山口となる レストラン前(標高約500m)まで向かう。ここから葛篭織の登山道が続いているが、奥様の提案で放牧地をショートカットし て登る事にする。急斜面を突っ切ったので、今回はDr.Krisperが若干遅れ気味であるが、約1時間でDammberg山頂に到着する。 ここには、Steyr市中心部からも確認できる立派な展望台(高さ約30m)が建っている。この展望台の約50Km南方には雪を頂く 荒々しい山容のGrosser Priel(標高2523m)が、その東にはなだらかなHoher Nock(2373m)が霞んで見える。記念撮影をして、 今度は反対側の緩やかな車道を下る。 10月3日の翌朝は教会の鐘の音で目覚める。宿泊したホテルMaderの在る街の中心部は、16世紀頃の町並みがそのまま保存 されており、まるで中世のヨーロッパにタイムスリップした様である。ホテルMaderから50m程歩むと、シューベルトが一時 住んだアパートが残されており、その壁面にはレリーフが埋め込まれている。その前を通過して、Enns川とSteyr川の合流点 に向う。この季節になると朝霧が発生し、幻想的な光景が見られる。Enns川沿いには、15世紀に建立されたゴシック様式の Parish Churchが有り、この教会でパイプオルガンを演奏していたのが、大作曲家アントン・ブルックナーとの事である。 また約40km北のLinzには、ブルックナーハウスと呼ばれるコンサートホールや、彼が作曲に勤しんだSt.Florian等彼にまつ わる名所旧跡が多い。ブルックナーの音楽は難解と言われるが、故朝比奈 隆氏のおかげで、日本でもポピュラーになった と言える。Steyrはこのように、著名な音楽家が暮らした由緒ある町である。 一方Steyr川沿いには壮麗なSt. Michael Churchが建っており、その存在感には圧倒される。この教会には付属小学校ま であり、嘗てヒットラー(オーストリア生まれ)がこの小学校に一時在籍していたそうである。彼は成績が悪く皆から馬鹿に され虐めに遭っていたとの事で、彼の幼児体験がユダヤ人大量虐殺に少なからず影響したと思われる。尚、現在オーストリ アではヒットラー姓は戸籍上から抹消されているそうである。 MAGNA Steyr社を訪問した所、Dr.Krisperより良い人を紹介すると言われ、急遽J.U氏及びインターンシップで当社にて研 修中のブダペスト工科大M2の学生と面談する。J.U氏は前日協定を結んだMontan大の修士号を取得しており、Dr.Krisperから 高知工科大の博士課程留学を勧められ、"自分は是非留学したいが、彼女の意見も聞かないと決められない"とか何とか顔を 真っ赤にして弁明をしている。ブダぺスト工科大生は柔らかい物腰であるが、秘めたる闘志が感じられ中々見所がある。 いずれにしても即決出来る話ではないので、後日返答を頂く事で話を終える。何時も通りのDr.Krisperの暖かい心遣いに痛 み入る。最新解析業務の打合せ内容については省略する。 10月4日の帰国の朝、飛行機の出発まで若干余裕が有ったので、地下鉄を乗り継いでシェーンブルン宮殿を訪れる。門前 には多くの観光バスが列をなし、開館時間を今や遅しと待っている。面白い事に、宮殿内は観光客でごった返すが、庭園内 は無料且つ人もまばらなので、庭園内のみ散策する事にする。バラ園を通って宮殿裏に出ると、芝生の中に花を幾何学文様 にあしらった庭園が広がる。その奥の小高い丘には、離宮グロリエッテが悠然と聳えている。少し遠いが、良い運動になる ので離宮まで足を伸ばす事にする。途中、ジョギング中のウーン市民に何名か出くわすが、観光客はまばらである。離宮内 部は現在カフェレストランになっており、一休みするのに打ってつけであるが、時間が早いので未だオープンしていない。 ここからはウイーン市内が一望でき、ゴシック建築の代表格であるシュテファンドームも遠くに望める。飛行機の出発時間 が迫ってきたので、急ぎ足でゲートまで戻る。 今回、9月25日から10月5日にかけて、大学間の国際交流協定調印の為ドイツ,ハンガリー,オーストリアを単独で訪問し た。大学以外にも独Daimler Chrysler社、オーストリアMAGNA Steyr社とも情報交換ができ、有意義な10日間となった。 最後にDr.Krisperを初め今回お世話になった方々に謝意を表したい。