*** 2002年12月8日 カンボジア ***

1.プノンペン
市内01
2.プノンペン
市内02
3.プノンペン
市内03
4.結婚式01 5.結婚式02
6.ワット・プノン
寺院01
7.ワット・プノン
寺院02
8.ワット・プノン
寺院03
9.ワット・プノン
寺院04
10.ワット・プノン
寺院05
11.ポルポト
刑務所跡01
12.ポルポト
刑務所跡02
13.王宮01 14.王宮02 15.王宮03 16.王宮04
17.王宮05 18.王宮06 19.王宮07 20.王宮08
21.国立博物館01 22.国立博物館02 23.国立博物館03
24.メコン川01 25.メコン川02 26.メコン川03 27.メコン川04


 12月6日(金)、東南アジアの大学との国際交流協定打診のため、K,W両先生とカンボジア、タイに出かける。日本からカンボジア
への直行便は無い為、タイバンコクの空港ホテルで一泊後、翌朝カンボジアの首都プノンペンに向かう。7日(土)は休日にも拘らず、
Fさん(W先生のAIT大学院での教え子)が空港まで出迎えに来て下さる。カンボジア工科大学、日本大使館、JICA、日商岩井との業務
関連は省略して、プノンペン市内での印象についてのみ記す。
 カンボジア市民はレストランで会食する余裕も見られつつあるが、市街では浮浪者や物乞いの子供達が屯しており、ポルポト時代
の悪政の影響が色濃く残っている。道行く車は韓国製トヨタカムリの中古車が目立つ一方、3~4人も相乗りした日本ブランド製の
中古バイクも多く見られる。大通の一角には、廃車から取外したと思われるエンジン,トランスミッション,電装品等を商う部品屋
が軒を並べている。やはり故障が多いのであろう。また市内のあちこちで、フランスパンを売る屋台を見かける。パン好きの私に
とって、味見するチャンスが無かったのは残念至極である。
 12月8日(日)、前日にカンボジア工科大でお会いした先生から、弟さんの結婚式に招待される。まず古式に則った御自宅での式典
に列席する。先祖を祭る"祖神"の前で、艶やかな絹の衣装を纏った新郎新婦が、神妙な面持で永遠の愛を誓っている。
 その後、レストランを貸し切っての披露宴にも参加することになるが、開宴までまだ時間が有るので、ワット・プノン寺院を訪問
する。入口の階段下では、子供が雀に似た鳥を売っている。願をかけて空に放つと、願い事が叶うとの事であるので、旅の無事を祈
って一羽を放つ。寺院に入るや否や、Fさんが仏様に向かって熱心にお祈りを始める。カンボジアは敬虔な仏教徒の国である。にも
拘らず、同じ民族同士で大量殺戮が行われたとは俄かに信じがたい。
 その後、一度ホテルに戻ってスーツに着替えた後、披露宴に出席する。日本のホテルで行われる披露宴のような肩苦しさはなく、
仲間同士で食事とカラオケを楽しみつつ、御二人の門出を暖かく祝福している様に思える。かつての日本の農村で見られた光景に
何となく似ている。 
 披露宴の後、ポルポトの刑務所跡に案内して頂く。入り口には色鮮やかなブーゲンビリアが咲き乱れ、亜熱帯地方に来た事を実感
する。所が刑務所内の牢獄に一歩入ると様子が一変する。何と鬼気迫る空間であろうか。トイレも無い一室に畜生同然に鎖で繋がれ、
死んで行った罪無き囚人の怨念が漂っている様な気がする。Fさんも説明しながら涙ぐんでいる。ここで処刑された人達が数万、全土
では200万とも300万とも言われ、20~30%の国民が虐殺されたことになる。特に大学関係者は目の仇にされ、略皆殺しに遭ったそう
である。中国の文化大革命以上の愚挙に、言い様の無い怒りと悲しみが込み上げて来る。中国では文革のために、10年以上の教育空白
時代が生じたと言われているが、近年海外に流出していた人材を高給で呼び戻す効果も相まって、急速に教育研究レベルを向上させて
いる。所がカンボジアの如く教師を皆殺にしてしまっては、最早自力再生は不可能である。カンボジアの東大に当たるカンボジア工科
大学でさえ、未だに大学院修士課程すら設けられていない。経済支援だけでなく、高等教育支援が急務である。
 ふと70年安保以降に起きた連合赤軍事件を思い出す。カンボジアの場合、外国の介入も合ってそれ程単純ではないが、疑心暗鬼か
ら仲間を次々と抹殺するに至った過程は共通している様に思える。そう言えば、連合赤軍の元幹部で、その後浅間山荘事件で逮捕さ
れながら、超法規処置で中東に逃亡したB(大学の同窓)は今頃何をしているのであろうか。ポルポト政権の元幹部も、政治上の駆け
引きか何か不明だが、責任を問われることもなく逃げ延びている。
 所で、本刑務所では処刑する前の全ての囚人の顔写真を記録に残しており、その一部が公開されている。その中には妊婦や子供も
混じっている。悲しみを通り越した表情は筆舌に尽くしがたい。若者の見学者は平気でシャッターを押しているが、死者を冒涜する
想がして写真撮影は差し控える。沈鬱な気持で外に出ると、何事も無かったかのように燦々たる太陽の下、民衆が談笑している。
 ショックが覚めやらぬまま、王宮,続いて国立博物館に案内して頂く。嘗ての栄華を示す貴重な建造物・遺跡ではあるが、先程の
刑務所跡との落差が余りにも大きく、単なる風景写真の被写体としての興味しか沸かない。よってレポートは差し控える。
 夕刻、市内を流れる大河トンレサップのクルーズに出かける。船着場付近の広場では、テレビのライブ中継が行われており、大勢
の聴衆が舞台前に押し寄せている。船着場から小型船に乗り込み、メコン川との合流点に向かう。幅1km以上は有ろうか流石に雄大で
ある。メコンの対岸には貧しい水上生活者の集落が見られる。薄暗くなる中、手ブレを恐れつつ1/15でシャッターを切る。対岸の
プノン市内を望むと、茜色の夕映えの中,ワット・プノン寺院と思しきパゴダがシルエットのように聳えている。
 今回は東南アジアとの交流を探るため、12月7日から9日にかけてプノンペンを訪問した。市内には、ポルポト政権下の傷跡が残
るとは言え、復興に立ち向かう若き教員等の輝いた瞳が印象的であった。今後、カンボジア工科大学からの留学生招聘(高知工科大
博士課程)実現に向けて努力したい。(後日談:1月30日にタイの女優の発言をきっかけに、プノンペンにてタイ大使館の襲撃事件が
が勃発。紛争の沈静化を切に願う。)

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