*** 2003年8月15日 中国青海省黒泉ダム/老爺山関連 ***
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
1.黒泉ダム堰堤 | 2.ダム堰堤直下の 発電所 |
3.ダム下流の風景1 | 4.ダム下流の風景2 (羊の放牧) |
5.ダム湖全景1 | 6.ダム湖周辺の 山々1 |
7.ダム湖周辺の 山々2 |
8.ダム湖周辺の 山々3 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
9.ダム湖周辺の 山々4 |
10.ダム湖周辺の 山々5 |
11.ダム湖周辺の 風景1 |
12.ダム湖周辺の 風景2 (羊の放牧) |
13.黒泉ダム直下の 農村1 |
14.黒泉ダム直下の 農村2 |
15.キンバイ類 | 16.黄色の花 (キク科) |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
17.大通の街並1 | 18.大通の街並2 | 19.老爺山感應寺三門 | 20.感應寺本殿 への急階段1 |
21.老爺山周辺の 家並1 |
22.老爺山周辺の 家並2 |
23.大通の街並3 | 24.感應寺本殿 への急階段2 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
25.感應寺本殿 への急階段3 |
26.感應寺本殿1 | 27.感應寺本殿2 | 28.老爺山(2928m) | 29.別院の内部 | 30.別院の仏像 | 31.別院傍の キク科の花 |
32.別院傍の花々 |
8月15日、青海大学の御好意で、省都・西寧市の北方地域を車でご案内頂く。先ず、景勝地・黒泉水庫(黒泉ダム)を訪問する。 標高3000mの高所に位置するこのロックフィルダム(岩石/土砂を積み上げたダム)、周辺の山々をバックに、満々と水を湛える姿は、正に絶景と言いたいところだが、堰堤周辺には大量のプラスチックやペットボトルが浮遊しており、この景観を台無しにしている。そこで、これらが画面に入らないように、アングルを工夫してシャッターを切る。では、なぜこのようなことが起きるかだが、中国では、飲み終わったペットボトルは、街中でも回収されることなく、そのまま周辺に捨てられるので、それが川を伝ってダム湖に集まるか、巡り巡って、日本海側に流れ着くことになる。いずれにしても、地球環境にとって、好ましい状態ではないので、一刻も早く、中国も資源回収を始めるべきであろう。一方、ダム直下には、長閑な田園風景が広がっており、家屋から出てくる人も確認できる。従って、ここに実際に人が住んでいる訳だが、これも、日本では先ず見られない光景である。素朴な疑問であるが、緊急のダム放水や決壊の際は、どう対処するのであろうか。 次に、西寧市の北40キロに位置する大通の町を訪問する。正式には、大通回族土族自治県と、少数民族の回族/土族が多く住む地域である。回族は、イスラム教を信仰する人口900万人程の少数民族を指すが、元来は回教に改宗した漢民族であり、顔付は当然漢民族そっくりである。だが、外見上は、男性は頭上に小さな白い帽子をのせ、女性はスカーフを巻いているので、簡単に見分けがつく。一方、辺境地西寧にも多くの漢民族が押し寄せ、今や7~8割にも達している。その分、回族から職を奪うことになるためか、街中で浮浪者のようにむろす回族を、多く見かける。一方、土族とは、Wikipediaによると、青海省/甘粛省に住むモンゴル系民族を指し、人口僅か27万人程度とか。青海省でモンゴル族とは、やや怪訝に思えるが、そのルーツは古く、4~5世紀に遡るとか。更に、13世紀の蒙古南進時の子孫も混じっている模様で、興味は尽きないが、今回はこれ以上詮索しないことにする。前置きが長くなったが、"老爺山"は標高約3千メートルの風化石灰岩からなり、嘗て海底にあったことを示している。その中腹にある"感應寺"は、石灰岩の石段を何段も登って、やっと辿り着ける高さにある。途中で、立ち止まって周辺を眺めると、山の斜面にへばりつくように、粗末な土造の家々が並んでいる。嘗て、トルコでみたクルド人の居住区そっくりであり、お世辞にも豊かな生活とは言い難い。何れにしても、多民族国家における少数民族は、生きるのが精一杯という所であろう。そんな事を考えつつ、階段を登りきると、眼前に大本堂が現れる。早速本堂に駆け寄るが、残念ながら、堂内は全て撮影禁止である。仕方がないので、外観を撮影してお茶を濁す。だが、下山途中、道教の小さな祠を見つけたので、素早く仏像他をカメラに収める。ここから、西寧へと帰路を急ぐ。 《補足》:当初、撮影場所と名前が特定できず、これまでWEB掲載を控えてきたが、改めて写真を整理している段階で、意外 な接点が見つかったので、急遽アップロードを決める。即ち、3.11の東日本大震災の翌日、この老爺山"感應寺"に て、逸早く亡くなられた1万人以上の方々の御冥福と、日本の復興を祈る催しが行われたとか。日本国民の一人と して、慈愛に満ちた素早い対応に感謝すると共に、東日本の復興がなった暁には、この寺を再訪したいものである。 |