*** 2003年8月20日,21日 天城山 ***
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1.湯元館 | 2.康成小説執筆 の部屋1 |
3.康成小説執筆 の部屋2 |
4.I氏と山口百恵 | 5.旧天城 トンネル1 |
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6.旧天城 トンネル2 |
7.ヒキガエル | 8.土石流の爪痕 | 9.紫陽花の原種 | 10.ブナの新緑1 |
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11.ブナの新緑2 | 12.天城連峰1 | 13.天城万三郎岳 | 14.八丁池1 | 15.ガマズミの実 |
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16.八丁池2 | 17.八丁池3 | 18.万三郎岳 山頂にて |
夏期休暇で帰省中の8月21(水)~22(木)にかけて、何時もの相棒I氏(本名伊豆平三)と共に、彼の"領地"とでも言うべき "伊豆"天城連邦主峰万三郎岳(1407m)に挑戦する。事前にI氏が調べた情報では、先日の台風で尾根の一部が崩落しており、 伊東側からの縦走は困難なので、初日は修善寺周辺の宿で休養し、翌日早朝万三郎岳を目指す事にする。只二人共、生来 の几帳面派ではないので、宿の予約もなしに出発する。これが、後に我々に幸運をもたらすことになる。 21日午後JR小田原駅ホームでI氏と合流し、その電車で下田駅に向う。ここから伊豆急に乗り換え、終点の修善寺で下車 する。早速観光案内所に駆け込み、今晩のお勧めの宿を訊くが、案内係は無愛想に宿の一覧表を渡すのみである。I氏は意 に介さず、片っ端から湯ヶ島温泉の旅館に電話を掛ける。"落合楼"なる高級旅館は値段を聞いて即諦め、結局一泊13,000 円也の"湯本館"が今夜の宿に決まる。 市営バスに乗って湯ヶ島温泉郷に向かう。バス停を下り暫く行くと、立派な門構えの"落合楼"が現れる。その脇を通り 抜け、安宿と思しき湯本館を探す。10分程で湯本館に辿り着く。少し古めかしいが、予想に反し中々雰囲気のある旅館で ある。聞けば、何とここが川端康成ゆかりの宿とのことで、康成が当時小説を執筆した部屋が、今でも"川端さんの部屋" としてそのまま残されている。部屋には康成直筆の色紙と共に、全ての著書が本箱に収められている。この旅館で、康成 が踊り子に出会い、またこの部屋で名作を執筆したと思うと感慨深い。一方親交の深かった梶井基次郎も、病気療養のた め湯ヶ島の湯川屋に1年半程逗留し、伊豆の踊り子の校正を手伝ったとされている。何れにしても、この湯本館が当時の 著名な作家の交流の場となったことは、間違いなさそうである。 所で、I氏とも不思議な御縁である。彼とは30数年前に京都北白川の下宿で知り合ったが、当時読書の習慣の無かった 私が、彼に刺激を受けて読書を始め、漱石,康成,井上靖等次々と読破した経緯がある。康成には、"伊豆の踊り子", "雪国"を始め自伝的小説が多く、晩年に描いた"眠れる美女"には当時衝撃を受けた記憶がある。多分年老いた康成自身の 性を描いたのであろうが、私の歳になると主人公"江口老人"の心境が少しは理解できるような気がする。 "川端さんの部屋"を見学後、夕食まで時間があるので、一風呂浴びることにする。この宿には、狩野川縁の露天風呂と、 地階の大浴場の2種類の風呂があるが、間一髪でアベックに露天風呂を占領され、止む無く大浴場に入ることにする。ふと 廊下の窓越しに外を眺めると、アベックの片割れが薄い胸を丸出しにして、露天風呂に飛び込んで行く姿が目に留まる。 "伊豆の踊り子"にもこの様なシーンがあったが、似て非なるものという所であろうか。 翌日は早朝出発のためおにぎりを用意してもらい、タクシーで登山口となる旧天城隧道に向かう。ここで写真撮影後、 その脇から登り始める。勾配自体はそんなにきつくないが、前日の雨の影響で、湿度100%且つ無風状態の登山道は、まる で蒸し風呂のようである。行程が長く、果たして万三郎岳まで水と体力が持つか心配である。なだらかな勾配を汗だくで 登っていると、突然20cm程も有りそうなヒキガエル(?)が飛び出してくる。実に堂々としているので、記念に写真におさ める。 4時間程で、八丁池手前の展望台に出る。ここから満々と水を湛えた八丁池と天城連邦が望める。写真撮影後、八丁池に 向かって下る。この池の周辺は無風状態にも拘らず、水面が波立っている。近寄ってみると、夥しい数の魚が群れを成し て回遊している。周囲僅か八丁程度の火口湖に、これだけの魚が繁殖しているのは、何とも不思議な気がする。 八丁池の休憩場所では、先に行ったI氏が男性登山者と歓談中である。ここで情報交換しながら早めの昼食を取り、更 に主峰を目指す。今回は行程が長く、何時もタフなI氏も少々ばて気味である。万三郎岳の最後の登りでは、I氏の足取り が極端に遅くなる。午後2時過ぎに、やっとのことで万三郎岳山頂に辿り着く。汗まみれの上着を脱いで、山頂で休憩して いると、反対側のルートからうら若き女性がひょっこり顔を出す。単独登山かと思いきや、その後に犬,御両親,兄,更 にはおばあさんと続き、総勢5人と一匹の家族登山隊である。79歳のおばあさんは、自分を褒めてあげたい模様で、"やっ たやった"と大騒ぎしている。このルートを登り切るとは大した体力の持主である。我々も褒めてあげたい気がしてくる。 ここで、お互いの記念撮影と情報交換をし合った後、彼等が登ってきたルートを逆に下ることにする。所が予想に反して 悪路の連続で、改めておばあさんの体力に脱帽する。下りでは、逆に私がばててしまい、I氏に大きく遅れを取ることに なる。薄暗くなり始めた山道を、ゴルフ場に向けて急いで下る。 今回は帰省時にI氏と共に天城連邦の主峰に挑戦した。行程が長く最後はばててしまったが、十分天城山を堪能すること ができた。また偶然前泊した湯本館では、川端文学の一端に触れることができ、充実した伊豆の旅となった。機会があれ ば、留学生と共に湯本館を再訪したい。 総歩数:約35,000歩 登りの厳しさ:★☆