*** 2003年9月12日,13日 ミャンマー訪問 ***

No.52 までが12日、No.53からが13日です。

1.野犬(T建設
ミャンマー事務所)
2.凍結された
空港拡張
工事現場1
3.放置された
いすゞトラック
4.放置された
日本製トラック
5.ヤンゴン
国際空港管制塔
6.ヤンゴン
工科大学本館
7.ヤンゴン
工科大学キャンパス
8.サンタンカ
(ヤンゴン工科大学)
9.校庭内風景
(ヤンゴン工科大学)
10.ヤンゴン工科大学
電子工学科実習室
11.ヤンゴン市内
の風景1
12.ヤンゴン市内
の風景2
13.ヤンゴン市内
の風景3
14.ヤンゴン駅1 15.ヤンゴン駅2 16.ヤンゴン駅3
17.民家の
パラボラアンテナ
18.日本製中古車 19.日本製中古バス 20.シュエダゴン
パゴダ入口1
21.シュエダゴン
パゴダ入口2
22.K先生と
ゼミの学生
23.シュエダゴン
パゴダ回廊1
24.土産物店
25.シュエダゴン
パゴダ回廊2
26.天井の
ガラス工芸品
(シュエダゴン
パゴダ回廊)
27.仏陀像1
(シュエダゴン
パゴダ回廊)
28.シュエダゴン
パゴダ回廊3
29.小パゴダ群1
(シュエダゴン
パゴダ)
30.大パゴダ1
(シュエダゴン
パゴダ)
31.大パゴダ2
(シュエダゴン
パゴダ)
32.大パゴダ3
(シュエダゴン
パゴダ)
33.女性の信徒
(シュエダゴン
パゴダ)
34.小パゴダ群2
(シュエダゴン
パゴダ)
35.中央の祭壇1
(シュエダゴン
パゴダ)
36.敬虔な信徒1
(シュエダゴン
パゴダ)
37.中央の祭壇2
(シュエダゴン
パゴダ)
38.パゴダ周辺
の狛犬1
(シュエダゴン
パゴダ)
39.仏陀像2
(シュエダゴン
パゴダ)
40.蝋燭を捧げる子供
(シュエダゴン
パゴダ)
41.パゴダ周辺
の狛犬2
(シュエダゴン
パゴダ)
42.敬虔な信徒2
(シュエダゴン
パゴダ)
43.信徒と僧侶
(シュエダゴン
パゴダ)
44.敬虔な信徒3
(シュエダゴン
パゴダ)
45.敬虔な信徒4
(シュエダゴン
パゴダ)
46.仏陀像3
(シュエダゴン
パゴダ)
47.敬虔な子供達
(シュエダゴン
パゴダ)
48.ライトアップ
された大パゴダ1
49.ライトアップ
された大パゴダ2
50.ライトアップ
された大パゴダ3
51.ライトアップ
された入口
52.アンスリューム
(市内ホテル)
53.涅槃像1
(チャウタッジー
パゴダ)
54.涅槃像2
(チャウタッジー
パゴダ)
55.涅槃像3
(チャウタッジー
パゴダ)
56.涅槃像の足の裏
(チャウタッジー
パゴダ)
57.敬虔な信徒5
(チャウタッジー
パゴダ)
58.敬虔な信徒6
(チャウタッジー
パゴダ)
59.敬虔な信徒7
(チャウタッジー
パゴダ)
60.ドリアン他の
亜熱帯フルーツ
61.K先生
(ロンジーの店)
62.買物客
(ロンジーの店)
63.ロンジーを穿いた
現地女性
64.ロンジーを穿いた
日本人学生

 9月12/13日の両日、K先生のゼミに交じって、ミャンマー(旧ビルマ)の首都ヤンゴン(旧ラングーン)を訪問する。私は、今回は国際交流の責任者として、名門ヤンゴン工科大学との交流協定締結を目指す一方、K先生及びゼミ学生と共に、ミャンマーの文化にも親しむ予定である。所で、ミャンマーは、第二大戦後、一途に軍事社会主義を貫いた国家で、民主化のシンボルであるアウンサン・スーチーさんの自宅軟禁でも、世界に悪名を轟かせている。私自身、高知工科大在職時は、国際問題に関する授業は担当していなかったが、室蘭工大転出後は、図らずも国際関係論入門,同本論,同特論(大学院)の講義を担当することになり、2003年訪問時の体験が役立ったのは言うまでもない。即ち、当時撮影したこれらの写真を元に、同国と北朝鮮との関係(麻薬密輸)/ラングーン事件/民主化問題/中国の影響力他を、幅広く取り上げた訳である。2010年11月13日になって、やっとアウンサン・スーチーさんも自宅軟禁を解かれ、私のHPに、8年前当時の状況を掲載するのも、何かの因縁であろう。
 9月12日9:30、まずヤンゴン国際空港傍のT建設事務所を訪問する。ここで、日本のODA支援による空港拡張工事の現状を聞いた後、フィールドスタディーとして、中断中の工事現場を訪れる。簡単に説明すると、日本のODA支援の一環として、1986年に工事を始めたものの、欧米の圧力により1989年に中断を余儀なくされ、以降14年間雨ざらしのままになっている。現場には、錆ついた生コン製造プラントの傍に、懐かしきいすゞ製ミキサー車が横たわっている。キャブのスタイルからして、'80年代当時の国内仕様の新車を、そのまま持ち込んだようであるが、二度と稼働しそうにない姿が何とも痛々しい。今後の展開については、"神のみぞ知る"であるが、少なくとも日本が工事を再開する可能性は、ゼロに近いであろう。
 昼食後、ヤンゴン工科大学を訪問する。大学関係者によると、嘗て大学内にあった学生寮が、'90年代始めの民主化運動の拠点になったため、現在のイラワィー管区に強制移転され、学生は全て学外から通学することになったとか。一方、肝心の交流協定の交渉は友好裏に終了し、あとは親中政策を取る軍事政権の承認を待つばかりとなる。ただ気掛かりなのは、同時に中国の宇宙開発の重点大学との協定交渉が進行中であり、軍事政権にとって、どちらの大学が重要かは言うまでもない。その後、電子工学科の実習室を見学する。教室内には、トランジスターの増幅作用を体験するボードが展示されているが、世の中はとっくにICチップに代わっており、隔世の感がある。それでも、同大学には大学院博士課程まで設置されおり、昨年末に訪問したカンボジア工科大とは大きく異なる。即ち、両国とも軍事政権下にあって、前者は教育関係者を殺戮しなかったのに対し、後者は教員/家族の略全員が抹殺されてしまい、1993年になって、嘗ての宗主国フランスの支援により、やっと学部から再開されている。従って、大学院は未だに設置されていない。だが、両大学とも、永年の荒廃により、教育/研究面で世界から大きく後れを取っており、高等教育機関に対する支援は、日本のプレゼンスを高める上でも、最重要であろう。
次に、JICAヤンゴン事務所を表敬訪問したのち、壮大な"シュエダゴンパゴダ"に向かう。途中の街中では、"ロンジー"(巻きスカート)を付けた男女が、屯しているのが見られる。信号待ちの際も、カンボジアのように、物乞いのストリートチルドレンは現れず、民衆の生活もそれなりに安定しているように見える。また大通りには、日本製の右ハンドルバスが、"京浜急行"や"横浜市営"等の文字が書かれたまま、整然と走っている。このような所で、日本の中古車に出会えるとは思ってもみなかった
が、欧米の圧力を撥ね退け、このような形で、日本がビルマに貢献していることに、ある意味の逞しさを覚える。現実に、ヤンゴン市内のホテルでは、JCBは通用するが、VISA他の米国系カードが使用不可であるのも、永年の日本に対する信頼の証しであろう。ただ、こと外貨に関しては、米ドルしか通用しないのが、面白いところである。
理由は簡単、欧米列強の経済制裁下にあって、輸出による外貨獲得が困難な中、世界の統一通貨と言うべき米ドルを、旅行者から巻き上げるのが狙いであろう。余計なことを考えているうちに、壮大な"シュエダゴンパゴダ"が迫ってくる。入口で、入場料5$を支払い、裸足になって回廊の石段を登って行くと、寺院広場への入口が見えてくる。ここから、時計回りに、境内を巡ることになる。中央には、巨大な金色のパゴダが鎮座し、周辺を小パゴダが取り囲んでいる。その祭壇前では、敬虔な市民が膝まづき、熱心に祈りを捧げている。夕暮時になると、ライトアップされた巨大パゴダは、一段と荘厳さをまし、群青色の夜空をバックに燦然と輝いている。小さな祭壇前では、あどけない子供達が、熱心に御祈りをしている場面が見られる。この子等に、幸多かれと願うばかりである。
 9月13日朝、今度は、巨大な涅槃像で有名な"チャウタッジーパゴダ"を訪問する。この像は、入滅前の釈迦を表しているため、仏ではなく人間である。従って、厚化粧した女性のように、目の周りにはアイシャドーの縁取りまであり、実に艶めかしい形相をしている。所で、2ヶ月半程前にも、タイの"ワット・ポー"(菩提の寺)にて、黄金の涅槃像を写真に収めたことがあるが、頭部は螺髪(らほつ)となり、頬もふっくらした仏のような形をしていた。従って、こちれは、釈迦の入滅後の姿を現しているのであろう。足の裏側に回ると、寺院風の建物から、ライオン,馬、鳳凰他、108もの"吉祥文様"が描かれており、この辺りも、中国文化の影響が感じられる。祭壇の前では、僧侶に交じって、市民が地面にひれ伏し、熱心に祈りを捧げている。だが、全員がやせ細っており、同国で唯一肥満なのは、元国家元首のタン・シュエとその一族くらいである。日本近隣の、世襲独裁国家と極めて良く似ているが、この両国が麻薬等の国際犯罪で繋がっているのは、洒落にもならない。欧米列強の経済封鎖が長引く中、その隙を狙って、中国がミャンマー沖の天然ガス資源獲得に乗り出しており、ミャンマー中部を横断して中国・昆明に至るパイプライン敷設まで、計画されている。
今後も、この三国が関係を深めるのは間違いなかろうが、独裁者に利権を独占されることなく、民衆の生活向上に少しでも役立つことを願うばかりである。最後に、門前の土産物店で、白檀製の仏像を買い求めて、この地を離れる。

《後日談》
 (1)ヤンゴン国際空港拡張工事については、中国/タイ両国の支援により、空港拡張工事が急ピッチで行われ、約1年後の2004年末に、近代的な空港に生まれ変わった。結局、中国,タイに甘い汁を吸われる結果となったが、そもそも日本が欧米列強の圧力に屈して、ODA支援を凍結したのが敗因である。
 (2)ヤンゴン工科大との交流協定に関しては、何度か回答を督促したものの、結局無しのつぶてに終わる。要するに、同大学が中国のK大学との協定を、優先した模様である。
 (3)2007年8月、ガソリン価格高騰を巡って、大規模な抗議デモが発生。同年9月27日には、ミャンマーの大規模な民主化運動を取材中、日本人記者・長井健司氏が射殺される。長井さんは、前日の取材の際も、特高の存在を身近に感じており、翌日狙い撃ちされた感が強い。今回の民主化運動は、初めて僧侶が主導したものだが、その際、最大の寺院である"シュエダゴンパゴダ"が重要拠点となったのは言うまでもない。この時の動員数は10万とも15万人、虐殺され,拘束された僧侶は、夫々数100名,数1,000名とも言われ、これまで最大の規模であるのは間違いない。だが、10月になって、軍隊により鎮圧されてしまう。
 (4)2011年3月30日、 軍事政権から民政移管。タン・シュエ議長の片腕であったテイン・セイン元首相/元大将が、大統領に就任。新憲法では、議会の1/4以上を軍人が占めるとしてしているが、実際は8割以上にのぼり、実体は何も変わっていない。たが、大統領自身、中国のみとの関係強化は望んでいないと言われており、日本が再エントリーする余地は十分にある。従って、ODA,教育・研究支援から、徐々に拡大していくべきであろう。将来は、生産拠点としても有望である。

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