*** 2004年9月7日 カンボジア・プノンペン ***

1.メコン川
大湿地帯1
2.メコン川
大湿地帯2
3.メコン川
大湿地帯3
4.カンボジア
工科大前にて
5.カンボジア
工科大前の
大通り
↑(プノンペン上空)
6.記念撮影
(学長&副学長と)
7.蝶 8.椰子の木 9.プルメリア 10.プルメリアと
椰子
↑(カンボジア工科大キャンパス内)
11.大メコン川 12.記念撮影 13.メコン川遊覧船 14.水上生活者
とパゴダ1
15.水上生活者
とパゴダ2
↑(水上レストラン)
16.象と象使い
(ワット・プノン
寺院前)
17.ワット・プノン
寺院入口1
18.ワット・プノン
寺院入口2
19.赤い花
(ワット・プノン
寺院前)
20.バイクラッシュ
21.スーパーマーケット 22.ブーゲンビリア1 23.ブーゲンビリア2 24.ブーゲンビリア3 25.運河1
26.運河2 27.工場労働者の
帰宅風景
28.牧草売り

 9月7日(火)、来年度の博士課程特待留学生リクルートのため、協定校であるカンボジア工科大学
(以降ITC)を訪れる。今回は昨年,一昨年に続き3度目でもあり、単独・日帰りの訪問となった。言
わば気楽な一人旅であり、途中で知合いに会うことなどないと思いつつ、バンコク空港のゲート前
でプノンペン便搭乗を待っていた所、突然背後から"Prof.Sakai!"と声をかけられる。振り向くと、
何とITCの若き女性講師Bさんである。ベルギーの大学での研究生活を終え、帰国途中とのことであ
る。再会を喜びつつ、同機に乗り込む。
 プノンペンに近づくにつれ、眼下に広大な湿原が広がるようになる。高度が下がるにつれ、メコ
ン河の堤防が決壊し、あちこちで濁流が溢れ出ていることが判かる。甚大な被害が人々に及んでい
ないことを、祈るばかりである。
 所で、カンボジア入国にはビザが必要であり、現地でも取得可能な関係で、多くの外国人が申請
窓口に列をなしている。私は日本でビザを取得済みであったので、簡単に通関できると思っていた
が、意外と10分以上もかかってしまう。別に色々と指摘されるわけでなく、チェック自体がスロー
モーなだけである。通関後、K先生にピックアップして頂き、ITCに向かう。ITCは工学系単科大学
のトップ校であり、日本では東工大に相当するが、研究・教育内容はその比ではなく、修士課程さ
え設置されていない。従って、修士/博士の学位を取得する際は、海外の大学に留学することにな
り、古くは旧ソ連,ポルポト政権崩壊後はフランス,ベルギー,日本,タイがその対象であった。
近年、フランスの影響が薄れるなか、日本の大学が今後果たす役割と責任は重いと考えられる。
 実際にITCでも、2年前はフランス人学長の下、年間600時間以上に渡るフランス語修学に始まり、
フランス語テキストによる講義と、まるで植民地のような教育がなされていたが、今回訪問した際
は、本人は顧問に退いて帰国し、カンボジア人のP女性学長(旧ソ連で学位取得)及び男性のO副学長
の体制に代わっていた。所でO先生は、ポルポト政権崩壊後に、最初に日本の国費留学生に選ばれた
方で、名古屋大学で学位を取得された知日派である。同校発展のためにも、留学生招聘・研究交流
の両面で本学の全面的なバックアップが必要である。
 会議後、P学長の御招待でメコン河縁のレストランに出かける。対岸まで2キロはあろうか、とて
つもない川幅である。隣にO副学長が着席されたこともあり、何時の間にか二人の会話は日本語に
変わっている。やはり此方の方が、意思疎通がスムーズである。
 所で、プノンペンは二本の大河(東のメコン河&西のトンレサップ河)がⅩ字状に交差するポイン
トに当たり、以降二本のメコン河に別れてベトナムへと向かう。嘗て、このトンレサップ河に架か
るチュロイ・チョンワー大橋をポルポトが破壊し、長年に渡って東西交通が滞っていたが、日本の
全面支援のもと1994年に復興したとのことである。現在でも、通称"日本橋"として両国友好のシン
ボルとなっている。
 昼食後、バンコクに戻る便まで少し時間があったので、ITCの首脳陣とは分かれて、K先生に土木
関連のプロジェクト現場に案内して頂く。先ず上記大河の合流点を訪れる。川幅は4キロはあろうか、
一帯はまるで海である。更に増水すると、周りは水浸しになりそうであるが、K先生はそんなことは
ないとおっしゃる。しかしながら、周辺のモデル住宅は増水を想定してか、3m程の高床式になって
いる。
 次に日本が支援した堤防現場を訪問する。堤防はコンクリート製の強固なものと予想していたが、
以外にも土を盛っただけの簡素なもので、その上が舗装路になっている。堤防の内側はメコン河よ
り水位が低く、運河を流れてきた工場・生活廃水をポンプで汲みあげ、メコン河に放流している。
水が滞留するせいもあってか、至る所からメタンガスが噴出し悪臭を放っている。今後汚水処理の
分野でも支援が必要である。
 堤防上の道を更に進むと、トラックの荷台にすし詰め状態で立つ人々が目に留まる。K先生に伺う
と、付近の織物工場に勤める労働者の帰宅風景とのことである。古い話で恐縮だが、1982年に人種
隔離政策華やかなりし南アフリカを訪問した際、トレーラバス(大型コンテナを黒人専用バスに仕立
てたもの)に衝撃を受けたが、それ以上に人間の尊厳と安全を無視した輸送手段である。これで、
衝突事故でも起こしたものなら、どうなるのであろうか。一方、市中を走るバイクも、3人乗りは当
たり前,4人乗りも多く見られる。安全などと言ってられない状態なのであろう。
 所で、カンボジア国民の平均年収は300~400米ドル,この工場労働者の年収はその2倍程度とのこ
とで、以外な感がする。因みに、新婚早々のK先生の給与は、他大学で講義を担当しておられること
もあって、彼等より遥かに多いと聞き安堵する。中国・文化大革命時代のように、教員給与が平均
並では、教育・研究の飛躍的向上は覚束ないと思われる。今後のK先生の御活躍を切に祈る。
 今回は来年度の博士課程留学生リクルートのため、単独でプノンペンを訪問した。わずか半日の
滞在ではあったが、P学長を始めITCの方々の御協力の御蔭で、有意義な会談となった。またK先生に
市内を案内して頂き、いろんな意味で良い勉強になった。今後、カンボジアの復興に側面から協力
できるよう、微力を尽くしたい。

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