*** 2006年8月17日 奥尻島, 18日 江差 ***

1.風力発電機1
(瀬棚港)
2.風力発電機2
(瀬棚港)
3.風力発電機3
(瀬棚港)
4.留学生
(連絡フェリー
甲板にて)
5.なべつる岩
(奥尻島)
6.透き通った海水
(なべつる岩)
7.慰霊碑
(奥尻島)
8.かもめ1
(青苗港)
9.かもめ2
(青苗港)
10.球島山
(奥尻島)
11.記念撮影
(球島山)
12.アジサイ
(球島山)
13.ハマナスの実 14.ピンクの
ハマナスの花
15.白の
ハマナスの花
16.ゲンノショウコ 17.紫の花
(アルファルファ)
18.白い花
(ノラニンジン)
19.奥尻港 20.降雨
21.連絡フェリーより 22.旧中村家1
(江差)
23.旧中村家2
(江差)
24.旧中村家3
(江差)
25.北回り船
(江差追分会館)
26.江差追分熱唱 27.江差追分舞踊 28.雨後のハマナス 29.ヒルガオ 30.松前城入口
31.松前町内
(城内より)
32.表御殿玄関 33.松前城本丸1 34.松前城本丸2 35.二人のO君
(松前藩屋敷)
36.園内の風景
(松前藩屋敷)

 8月17日,18日(金)の2日間、留学生と共に奥尻島/江差方面に見学旅行に出かける。今回の参加者は合計42名,内訳は留学生とその家族が36名,チューター2名,教職員4名である。昨年に較べて、やや減少している関係で、今回は1台の大型観光バスで出かける。
 早朝6時、大学前を出発し一路西海岸の瀬棚港へと向かう。港が近づくにつれ、巨大な風力発電機が目立つようになる。出航まで時間が有ったので、この雄姿を撮影するため港内を散策する。真下で眺めると何とも迫力がある。WEB上で調べると、2000kwクラスで翼の最大径が52mとある。港周辺には、合計10基設置されており、内訳は洋上に2基(600kw×2),陸上に8基(600kw×2,2000kw×6)とのことである。これで、年間約1万世帯分の電力をまかなえるそうである。
 9時25分、フェリーは奥尻島に向けて静かに岸壁を離れる。所要時間が約1時間半と、ちょっとした船旅気分である。ところで、早朝室蘭を出発したときは、小雨混じりで有ったが、ここに来てやっと晴天になった。
 ただ北海道には珍しく、正にうだるような暑さである。従って、甲板デッキでは、留学生が海風に打たれながら、涼みをしている。ここで、中国人留学生S君を捕まえ、四方山話をする。一般的には、中国人留学生は自己主張が激しいが、彼は中々リベラルな考えを持った好青年である。靖国問題,歴史教科書問題と議論が伯仲している間に、奥尻島が近づいてきたので、結論はこの次にして下船する。
 船着場では、町役場のNさんが出迎えてくださる。先日、JICA研修生が訪問した際にも、お世話になった方である。先ず、奥尻島のシンボル"なべつる岩"を見学する。実にユニークな形をしているが、"なべつる"と言うよりも、"やかんの取っ手"というイメージである。周辺の海水も、目の覚めるようなエメラルドグリーンである。
 留学生も歓声を上げている。ただ近くの海岸には、ハングル文字や中国簡体字が入ったプラスチック類が漂着しており、何とも頂けない。改めて、環境問題に無関心な中国/韓国の現状を思い知らされる。
 次に、1993年の津波で被災した青苗地区を目指す。この時の死者・行方不明者は197人にも及び、津波は最大で30mに達したといわれている。その後この地区に建てられた、"津波館"と慰霊碑を見学した後、玉島山を越えて奥尻港に戻る。
 15時45分、奥尻島に別れを告げ、一路江差へと向かう。今回の船旅は2時間15分と更に長い。しかしながら、先程とは異なり、甲板デッキは進入禁止である。従って、留学生達は2等船室の畳の上で、ゲームをしたりして時間を潰している。その内疲れてきたのか、畳の隅で船を漕いでいる者も見受けられる。江差港到着後、古式ゆかしい"鉄口旅館"に向かう。割り振られた部屋に入ってみると、部屋のテレビも古式で、何とチャンネル切替は、"つまみを回すタイプ(カチャカチャ式)"である。
 翌朝、江差界隈を散策する。先ず、旧中村家を訪問する。この住宅は、近江商人"大橋宇兵衛"が江戸後期に、贅を尽くして建てたもので、総檜切妻造りの実に存在感がある造りである。これは、江戸時代に相当の江州資本が、蝦夷地にまで投下されていたことを示している。ところが、大正初期には中村家に移り、更に昭和40年代後半になって、当主が廃業して町を離れてしまった。"旧"が付いているのはそのためである。この際、土地/建物一切が町に寄贈された関係で、現在でも町の重要文化財として維持管理され、多くの観光客を迎えている。流石に大廻船問屋だけあって、屋内にも立派な仏壇が残っており、嘗ての栄華が偲ばれる。
 次に、近くの江差追分会館を訪問する。ただ少々早く着きすぎた関係で、追分開演は何と1時間も先である。そこで、Sさんが熱烈に交渉した結果、即開始と相成る。流石にSさんである。最初は名人の絶唱で始まったが、その内アイヌ衣装を着た女性が優雅な舞を始める。アイヌ衣装と江差追分とが、どんな因果関係があるか不明だが、当時この地域では単なる交易だけでなく、異文化交流もあったのかも知れない。
 ここから更に南下して、松前城を見学する。北海道唯一の城で、こじんまりした三層の天守閣を有している。ただ過去何度か火災にあっており、"本丸御門"が唯一現存する当時の建物である。城内の見学を終え、天守閣を改めて見上げると、ふと約40年前にタイムスリップしたような錯覚に陥る。当時は、実家から程遠くない姫路城に通い、その写真を京都河原町画廊で行われた京大写真部新人展で発表した。勿論、その時の写真もネガも手元に残っていないが、一応人様に見ていただくためには、先ず"ぶれていない写真"が大切であることを実感した。
 即ち、一件ピンボケに見える写真の大半が、実は手振れが原因なのである。そんな訳で、撮影の際は、胸部レントゲン撮影時の如く、脇をしめ息を凝らすように心掛けている。また、野山で撮影する機会が多い関係で、環境に優しくない三脚は使用せず、手ブレ補正付レンズ(Image Stabilizer付)を愛用している。
 次に、当時の城下町を再現した"松前藩屋敷"を見学する。名前とは異なり、園内には商家や番屋もあり、一番奥に武家屋敷が再現されている。留学生は、刀を差したり商人の衣装を着たりして、お互いに写真を取り合いっこしている。ここから、青函トンネル記念館を経て、今夜の宿泊先となる函館へと向かう。ただ、私にとって、本日が論文提出期限のため、ここ函館で皆さんとお別れして、単独列車で東室蘭に戻る。
 今回は、2泊3日の留学生見学旅行会の内、2日間参加させて頂いた。Sさんの用意周到な準備と共に、天候にも比較的恵まれ、楽しい2日間を過ごすことができた。来年も、是非このような会に参加したい。 

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