*** 2006年12月31日 鎌倉 ***
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1.円覚寺総門 | 2.山門 | 3.達磨大師像 (大方丈) |
4.観音像1(大方丈) | 5.観音像2(大方丈) |
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6.童子像 | 7.万両 | 8.千両 | 9.正続院 | 10.佛日庵1 |
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11.佛日庵2 | 12.円覚寺境内 | 13.居士林入口 | 14.居士林裏側 | 15.モミジ (居士林裏側) |
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16.明月院裏山 | 17.富士(半増坊裏) | 18.稲村ガ崎方面 (半増坊裏) |
19.石が露出する 登山道 |
20.石山上の樹木 |
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21.山道の紅葉 | 22.落ち葉の登山道 | 23.大平山 | 24.登山道脇の楠 | 25.瑞泉寺手前の崖 |
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26.瑞泉寺裏の山道 | 27.瑞泉寺参道の坂 | 28.瑞泉寺参道の階段 | 29.モミジと竹林 | 30.瑞泉寺総門 |
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31.瑞泉寺境内1 | 32.瑞泉寺境内2 | 33.冬桜1 | 34.冬桜2 | 35.大黒様 |
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36.恵比寿様 | 37.桜の紅葉 | 38.ミツマタの花1 | 39.ミツマタの花2 | 40.ナンテンの実 |
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41.スイセン1 | 42.スイセン2 | 43.石庭1 | 44.石庭2 | 45.本殿裏側 |
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46.台湾リス(総門) | 47.舞殿 (鶴岡八幡宮) |
48.古神札焼納祭 | 49.大石段 | 50.鶴岡八幡宮本宮 |
12月31日(日)、トレッキング再開のため、カメラをぶら下げて大晦日の鎌倉に出かける。諸般の事情で、ここ2ヶ月程発汗を伴う運動は禁止されていたが、ここにきて漸く許可がでたので、手始めに比較的楽な"天園ハイキングコース"に挑戦する。 13時過、北鎌倉駅で下車し、先ず円覚寺を訪問する。除夜の鐘の時刻になると、大混雑が予想されるが、まだ先のためか参拝客はまばらである。総門を潜り抜け山門へと向う。この左手には、花の寺"松嶺院"があるが、本日は残念ながら門が閉じられている。そこで別の被写体を求めて大方丈に向かう。約1年前に訪れた際は、等身大の観音像を撮影したが、今回は小形の2枚の石版を狙う。何れも、2次元平面に幽玄の世界が封じ込められているようである。ここから、道々撮影しながら一番奥の黄梅院に至る。帰路途中、何時もは通り過ぎる"居士林"の左手をふと見ると、石畳の細道が奥へと続いている。そこで、この道を進むと、右手に禅道場が現れるが、立派な茅葺の門に比べて粗末な小屋である。ただ、散り残ったモミジが、彩を添えている。 円覚寺を出て、天園ハイキングコースに向かう。このコースは、"明月院"から"瑞泉寺"まで約4km続く、比較的なだらかなルートである。ただ、あちこちに砂岩が露出したており、少ない土壌を奪い合うかのような、雑木の縄張り争いを良く見かける。後半は、楠と思しき木々や雑木林の中を歩み、約1時間半で"瑞泉寺"に到着する。 拝観料を納め境内に入ると、参道が二本に分かれている。竹林が見える緩やかな坂道を歩むと、散り残った黄色のモミジが見受けられる。緑の竹林とのコントラストが何とも美しい。総門を潜ると、種々の花が咲く庭園が望める。更に近づくと、本堂のすぐ傍に冬桜が開花している。桜というよりは、ウメに似た清楚な花である。一番奥まで進むと、見事な石庭が現れる。断崖に掘られた修行用と思しき洞窟や、池を巡る石橋もあり、樹木を配さない独自の世界が表現されている。実に存在感のある名園である。 所で、改めてチケット半券を眺めてみると、本寺院は1327年に夢窓国師により建立され、"鎌倉石"に彫られた"岩庭"が、特に有名とのことである。また、"花の寺"としても知られ、四季折々種々の花々が咲き乱れるそうである。今はさしずめスイセンの盛りという所であろうか。境内を徘徊すると、他にも色鮮やかなナンテンの実や、真っ白なミツマタの花が見られる。 所で、前述の円覚寺の開祖・無学祖元は、1279年に執権・北条時宗の招きで亡命的に来日し、帰国すること無く1286年に示寂している。この時代、二度にわたる元寇襲来(文永・弘安の役:1274&1281年)の影響により、中国仏教界との交流が途絶えたのであろう。瑞泉寺の開祖・夢窓国師が、伊勢出身の日本人僧であるのもそのせいであろうか。 日が傾いてきたので、そろそろお暇しようと思っていたとき、草むらから"ガサガサ"と音がする。見ればなんと台湾リスである。急遽カメラを構えるが、動きが素早く中々シャッターが切れない。それでも、総門に登った際のショットをものにする。ここから、鶴岡八幡宮を経て北鎌倉に戻る。 総歩数:約14,500歩 登りの厳しさ:☆(天園ハイキングコース) |