*** 2007年3月9日,11日 オーストリア・ウイーン ***
3月9日 | ||||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
1.JL405便? (成田空港) |
2.ロシア沿海州 (NH205便) |
3.アムール河1 (NH205便) |
4.アムール河2 (NH205便) |
5.アムール河3 (NH205便) |
3月11日 | ||||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
6.シュテファン寺院1 | 7.日曜のミサ (シュテファン寺院) |
8.ステンドグラス1 (シュテファン寺院) |
9.ステンドグラス2 (シュテファン寺院) |
10.ステンドグラス3 (シュテファン寺院) |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
11.シェーンブルン 宮殿庭園 |
12.横路 (シェーンブルン 宮殿庭園) |
13.レンギョウ1 (シェーンブルン 宮殿庭園) |
14.レンギョウ2 (シェーンブルン 宮殿庭園) |
15.白い花1 (シェーンブルン 宮殿庭園) |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
16.白い花2 (シェーンブルン 宮殿庭園) |
17.スミレ1 (シェーンブルン 宮殿庭園) |
18.スミレ2 (シェーンブルン 宮殿庭園) |
19.ボケ1と温室 (シェーンブルン 宮殿庭園) |
20.ボケ2 (シェーンブルン 宮殿庭園) |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
21.野生リス1 (シェーンブルン 宮殿庭園) |
22.野生リス2 (シェーンブルン 宮殿庭園) |
23.花壇1(温室) | 24.花壇2(温室) | 25.ウツギ?(温室) |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
26.サツキ1? (温室) |
27.サツキ2? (温室) |
28.カリアンドラ・ エマルギナタ? (温室) |
29.カリステモン・ ドーソンリバー (温室) |
30.シャクナゲ (温室) |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
31.ラッパ状の花 (温室) |
32.マンリョウ (温室) |
33.野生ラン (温室) |
34.アンスリューム (温室) |
35.アフェランドラ・ シンクレリアナ (温室) |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
36.グロリエッテ への登り坂 |
37.グロリエッテ からの下り坂 |
38.シェーンブルン 宮殿 (グロリエッテ) |
39.ウイーンの街並 (グロリエッテ) |
40.シェーンブルン 宮殿入口 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
41.地下鉄 Karlsplatz駅 |
42.ベリートルテ (Gerstner) |
43.露天の楽師 | 44.観光馬車1 | 45.観光馬車2 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
46.ペーター 教会外観 |
47.ペーター 教会祭壇1 |
48.ペーター 教会祭壇2 |
49.ペーター 教会天井壁画 |
50.ローマ時代の 水道跡 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
51.市庁舎1 | 52.市庁舎2 | 53.新王宮1 | 54.新王宮2 | 55.哀れなお爺さん |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
56.ストリート ミュージシャン |
57.カフェ | 58.ケルントナー ストリート |
59.スポットライト・ コマーシャル (ケルントナー ストリート) |
60.ケルントナー ストリート夜景 |
3月9日(金)、オーストリア/ハンガリーの大学との研究/留学生交流推進のため、パリ経由でウイーンに向かう。往路は、早朝7:45に新千歳空港を発ち、同日夜10:30頃ウイーンのホテルに到着する航程である。一見、極普通のスケジュールに思えるかもしれないが、日本と欧州間には8時間の時差があるため、現地到着時刻は日本時間の早朝6時半となり、計22時間45分の長旅となる。以下、9日~11日までの道中の出来事について記す。 11:55定刻、NH205便にて成田を出発する。同機は日本海に出ると、日本列島に沿って北上し、北海道付近で左に折れ、ロシア沿海州に向かう。離陸後約2時間で、アムール河上空に差しかかる。この手前までは、厚い雲に覆われていたのだが、この流域のみ不思議と晴れ渡り、雄大な光景が眼下に広がる。季節柄、本来なら一面銀世界のはずだが、地球温暖化の影響か、黒土が剥き出しの箇所も見受けられる。 美味な昼食が済み、落ち着いた所で、以前別々の路線で二度お会いしたS.Oさんの消息にについて、二階席担当のCA(A.Kさん)に伺ってみる。色々調べて頂いた結果では、S.Oさんは現在常勤ではないとのことである。また四方山話をする中で、A.Kさんは横浜の自宅近くの、名門F女子大のご出身とわかる。私が担当する国際関係論も、母校で受講されたそうである。これも何かのご縁であろうか。ここから約9時間で、無事パリCDG空港に到着する。ここで、CAの方々とはお別れし、次にOS機(オーストリア航空)に乗り継ぎ、ウイーンに向かう。 3月10日(土)、H19年度シラバス提出期限が12日に迫っている関係で、ホテルの一室に篭って持参したノートPCに向かう。便利な世の中になったもので、ウイーンのホテルから本学のWEBに入り、日本語資料を作成/登録できるのである。欲を言えば、無線ラン使用料(17ユーロ/1日)が無料であれば、申し分ないのだが。 3月11日(日)、本日は国際関係論の情報収集のため、ユダヤ博物館/ユダヤ人広場博物館を訪問する予定である。その前に、朝の散歩がてらに、シェーンブルン宮殿周辺を散策する。約1年半前に、西端に位置する日本庭園を訪れた際には、見事な山水が再現されていたが、今は霜よけネットで覆われ、観光客も疎らである。従って、以前見かけた愛らしき黒リスも、未だ冬眠中と思っていたところ、外国人女性がしきりに何かを呼び寄せている。近付くと、何と茶色のリスが草むらを走り回っている。警戒心が強いのか、人間様とは距離をおきつつ、前足でしきりに地面を掘りあさっており、一瞬たりとも動きを止めない。その姿を追いつつ連写したが、残念ながら全てぶれている。 その中から、比較的ましな2枚をWEBに掲載する。次に温室を訪問する。18世紀中頃に建設された、総ガラス張りの格調高い建物であるが、その中に日本や亜熱帯の植物が多く育成されている。この辺りは、ハップスブルグ王家の嗜好の名残であろうか。ここから、グロリエッテを経て、地下鉄にてウイーン中心部に戻る。 シュテファン寺院前で下車し、徒歩で前述の博物館に向かう。目的は、20世紀以降のウイーンに於けるホロコーストの実態調査である。ところが、地図を目当てに探し歩いても、目指す場所まで中々行き着かない。結局、カフェーで一休みした際に店員に尋ねたり、行き交う人に聞いたりして、やっと目指すユダヤ人広場博物館に辿り着く。館内は、期待に反し15世紀初頭のユダヤ人居住区の遺跡が中心で、6万5000人とも言われるホロコーストの犠牲者情報は、展示されていない。その後訪れたユダヤ博物館に到っては、まるでカフェであり、何をか言わんやである。ヒットラーを生んだ国にとって、歴史上の恥部は素直に一般公開出来ないのであろう。ただ、このことが判かっただけでも収穫であった。 夕刻、ケルントナー大通りに戻り、嘗ての皇室御用達の店"Gerstner"にて、芸術品のようなケーキとウインナーコーヒーで一息入れる。ケーキは、各種ベリーをあしらった色鮮やかな一品で、食べるのに躊躇する位の美しさである。よって、食べる前に写真に収める。光線の加減で、少し黒ずんではいるが、ご容赦頂きたい。 この後、近くの新王宮周りを散策後、夕闇迫るケルントナー大通りを歩いていると、老人が脇道からふらっと現れ、洋品店前で地べたに座り込んでしまう。当初、行き倒れの老人かとも思ったが、暫くすると両手を指し出し、物乞いを始める。老人の風貌がいかにも哀れを誘い、通行人が次から次へとコインをあげて行く。その度に、深々と礼をしながら、哀れっぽい声で"ダンケシェーン"と言っている。どうやら、プロの"お乞食さん"のようである。 一方、ストリートミュージシャンも多く見られ、彼等の生活が観光客によって成り立っていると思うと、何とも複雑な思いがする。本日は、歩き疲れたので、タクシーにてドナウ河沿いのホテルに戻る。 |