*** 2009年8月22日~25日 カナダ・オタワ ***
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8月21日(金)~9月4日(金)にかけて、東回りのラウンドトリップ(世界一周の旅)に出かける。これまで、西回りのそれは何度か体験済であるが、更に体力的にきつい東回りは、今回が初めてである。当初、カナダ・オタワでの国際学会(Inter-Noise2009)にて論文発表後に、そのまま帰国する予定であったが、偶々本学学生のH.M君が、ハンガリー・ミシュコルツ大学に短期留学する時期と重なったため、ウイーンで彼と合流後、レオベン経由でミシュコルツに向かうことにした。またこの際、将来留学を希望しているA.K君も、私費にて特別参加することになった。 8月22日(土)8:00、ホテルの連絡バスにて、成田空港第一ターミナルに向かう。チェックイン後、出発まで時間があったので、展望デッキから、離発着する飛行機を狙う。約20分も粘ったが、中々気に入った写真が撮れないので、時間切れで出発ロビーに戻る。 10:45定刻、全日空NH0012便は成田を離れ、一路シカゴを目指す。予想通り、機材は大型機のB747-400ではなく、中型機のB777-200である。約4年前、ワシントンDCに向かった際も、全日空は既にこの機種を導入しており、当時から徹底した省エネを図っていた。また、通常空席が目立つビジネスクラスも満席で、正に輸送効率100%と言える。今存亡の危機にある"日本の翼"JALとは大違いである。一方、チケットを確認すると、最終目的地オタワ空港到着は、22日16:39(日本時間23日05:39)とある。所要時間は、待ち時間を入れて何と約19時間、この間機内では殆ど眠れないため、体調が狂って当然の強行軍となる。 成田を発ち3時間半程経過すると、眼下に残雪を頂いた島が現れる。山頂部はカール状になっており、嘗て氷河に覆われていたことを表している。機内誌で確認すると、どうやら"アッツ島"のようである。更に東方に霞んで見える島は、"キスカ"であろうか。所で、アッツ島は、アリューシャン列島の南端に位置し、第二次大戦中、日本軍が最初に玉砕した激戦地である。未だに、島全体に霊気が漂っているように思えるのは、私だけであろうか。航路上では、このまま列島に沿って北上すると、北米最高峰・マッキンリー山上空を、通過することになる。あわよくば、その雄姿を写真に収めたい所たが、その手前で日没を迎えため、窓のシャッターを下ろし、暫しの眠りにつく。 2~3時間は眠ったであろうか、シャッターを少し上げると、朝靄の中に大河が霞んで見える。一部は、S字状に大屈曲していおり、まるで腸のようである。そうこうする内に、当機はシカゴ・オヘア空港第5ターミナルに、滑り込む。世界最大のこの空港、各ターミナル間は無人シャトルで結ばれており、正にハイテクの塊である。所が、入国審査場まで進むと、そこで何と行き止まりである。場内アナウンスによれば、システムがダウンしたとのことで、このまま40分程度も待たされる羽目になる。この際、バックアップシステムが働いて当然であるが、何故か米国の入管システムは、1系統しか無いようである。結局、私自身のバックアップシステム(乗継まで5時間)のおかげで、事なきを得る。 17:30過ぎ、やっと本日の宿・The Westin Ottawaに到着する。今回の学会が、このホテルで開催されるため、利便性を優先して4泊することにしたが、何と食事無しで一泊2万数千円と、大学教授の給料からすると、破格の値段である。これでも、本学会参加者のための特別レートとか。ただ、部屋に足を一歩踏み入れると、正に息を呑む光景が飛び込んでくる。まあ、この絶景が毎日見られるなら、良しとしなければなるまい。早速カメラを取り出し、この光景を狙っていると、急に睡魔が襲って来たので、Westin特製"Heavenly Feather & Down Pillow"を枕に、一眠りする。目覚めると時刻は23:00、"天国の羽毛枕"で熟睡できたせいか、頭がすっきりしている。成田で前泊した一泊朝食付6900円のホテルHとは、雲泥の差である。カーテンを開けると、見事な"オタワの夜景"が広がっている。昼間の光景も含めて、被写体には事欠かない模様である。 8月23日(日)、結局一睡もできなかったが、絶景を求めて早朝の散歩に出かける。ネオ・ゴシック様式の国会議事堂は、実に存在感がある。ただ、中央の塔をじっくり眺めると、"ビッグ・ベン"そっくりである。また、周辺の庭園には、騎乗のエリザベスⅡ世像もあり、英国の影響力が色濃く残っているように思える。だが、1965年には、国旗からユニオンジャックが消え、以降急速に米国寄りの外交に変化している。また、本年6月に破綻したGMを救済するため、カナダ政府が、12%もの新GMの株式を取得したことは、意外と知られていない。 更に、GMの欧州子会社・オペルを買収したのも、カナダのブローバル企業・MAGNA社である。金融危機を切っ掛けに、米加がNAFTAの二大大国として、結束を深めているのは間違いなかろう。 一方、議事堂裏に回ると、優美なアレクサンドラ橋が望める。この先は、フランス語圏のケベック州と、この橋を挟んで公用語が異なる。だが、英語圏のオンタリオ州側の道路標識にも、フランス語が併記されており、お互いの利便性が図られている。余談であるが、ケベック州出身の有名人といえば、"セリーヌ・ディオン"が挙げられる。90年代初め、ヨーロッパ線の機内で、"WHEN DOES MY HEART BEAT NOW"を始めて聞いた際、そのパワーと歌唱力に圧倒された記憶がある。ただ、フランス語なまりの変わった英語で、お世辞にも綺麗な発音とは言えなかったが、その後、次々と英語版のCDを発表する中で、急速にネイティブの発音に近づいていったようである。97年には、"バーブラ・ストレーザンド"とのコラボレーションまで果たし、その挿入歌"TELL HIM"は、正に圧巻である。学界/音楽界共、世界の共通言語は英語であると言えよう。 ホテルへの帰路、リドー運河に立ち寄る。写真からも判かるとおり、水位の低いオタワ川から上位のダウンタウンへと、徐々に水位を上げ行く閘門式運河である。ここは、ユネスコ世界遺産に登録されており、実に情緒溢れる光景が連続する。その橋上の一角では、議事堂周辺とあってか、エスキモーへの環境悪化,ルワンダでのジェノサイト等、問題提起をするような写真が、数枚立て掛けられている。 道行く人は、立ち止って眺めているが、国際関係の講義を担当する私にとっても、中々見過ごせない光景である。 8月24日(月)、いよいよ論文発表当日である。ただ、時差ぼけで、前日の23:00頃目覚めたため、そのまま朝まで発表のためのイメージトレーニングを行う。時間になったので、開始30分前に会場に入ると、何と正副のセッションオーガナイザー以外、誰も見当たらない。 ちょっと拍子抜けしたが、開始直前になると20人程度集まり、事なきを得る。また、イメージトレーニングが功を奏したせいか、聴衆に向かって、自分の言葉で説明できた。発表後の質問に関しても、やや鋭さには欠けたものの、二件寄せられ、持ち時間一杯まで返答し、有意義な一時となった。自己採点すると、70点の出来というところであろうか。 8月25日(火)、学会の合間に、衛兵交替式に出かける。30分足らずのセレモニーであるが、整然と隊列を組んで行進する様は、正に圧巻である。また、音楽隊の後列には、バクパイプを抱えキルトをはいたスコッチ風衛兵も見られ、英国文化そのものという感である。 唯一の違いは、移民の国だけあってか、衛兵の肌の色が様々であることぐらいである。議事堂の裏手に回ると、何と北海道の花"ハマナス"が咲いている。どういう訳で、ここにハマナスがあるのか、興味津々であるが、敢えて詮索しないことにする。その後、国立美術館付近を散策し、ホテルに戻る。 《後日談》9月13日、Inter-Noise2009学会責任者より、proceedingsによる評価の結果、優れた論文として、上位の学会誌NCEJ(Noise Control Engineering Journal)にノミネートされたとの通知があった。改めて、同学会に投稿し、3人のレビューワーから、フル査読を受けることになった。 |