*** 2010年3月27日~28日 カラコルム ***

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No.1~No.18が3月27日, No.19~54が28日です。

1.デコミニバス1
(イスラマバード)
2.デコミニバス2
(イスラマバード)
3.デコトラ1 4.バザール1 5.バザール2 6.吊橋
7.カラコルムの雪山1 8.カラコルムの雪山2 9.子供達 10.老人 11.ぺシャムの町並1 12.ぺシャムの町並2
13.ぺシャムの町並3 14.カラコルム
ハイウエイの断崖
15.インダス河畔の村 16.カラコルム
ハイウエーの
無名峰1
17.カラコルム
ハイウエーの
無名峰2
18.カラコルム
ハイウエーの
無名峰3
19.インダスの朝1
(チラス・
シャングリララ
・インダスビュー
ホテル)
20.インダスの朝2
(チラス・
シャングリララ
・インダスビュー
ホテル)
21.カマイン山5493m
(チラス・
シャングリララ
・インダスビュー
ホテル)
22.ピンクの花
(シャングリララ
・インダスビュー
ホテル)
23.白い花
(シャングリララ
・インダスビュー
ホテル)
24.カラコルム
ハイウエーの渓谷
25.タタパニの温泉 26.ナンガパルバット
のビューポイント
27.雲間の
ナンガパルバット1
28.雲間の
ナンガパルバット2
29.ナンガパルバット
周辺の岩峰
30.ナンガパルバット
周辺の無名峰
31.いすゞ製
デコトラ前で
(ジャグロット)
32.いすゞ&日野製
デコトラ
(ジャグロット)
33.日野製デコトラ
(ジャグロット)
34.ベッドフォード製
デコトラ
(ジャグロット)
35.デコトラの
ドライバー1
(ジャグロット)
36.デコトラの
ドライバー2
(ジャグロット)
37.チャイハナの客
(ジャグロット)
38.ナンを焼く光景1
(ジャグロット)
39.ナンを焼く光景2
(ジャグロット)
40.美少女1
(ジャグロット)
41.美少女2
(ジャグロット)
42.通行禁止の橋
(ジャグロット)
43.仮橋の設置工事
風景
44.工事の見物客
(ジャグロット)
45.三大山脈
ジャンクション
ポイント1
46.ギルギット川と
インダス川の合流点
47.カラコルム山脈の
山1
48.カラコルム山脈の
山2
49.ジャンクション
ポイントにて1
50.ジャンクション
ポイントにて2
51.ギルギット周辺の
光景
52.黄色のミニバラ1
(ギルギット
・セレナホテル)
53.黄色のミニバラ2
(ギルギット
・セレナホテル)
54.ギルギット川に
架かる橋

 3月26日(金)~4月2日(金)にかけて、S旅行が主催した"カラコルム大展望花の桃源郷フンザ滞在"のツアーに出かける。古来から、シルクロードの桃源郷として、玄奘三蔵を初め多くの旅人が行き交った場所である。第二次大戦前後は、英国の登山家(スパイ?)エリック・E・シプトンとその朋友ハロルド・W・ティルマンが探検した山岳地帯でもある。二人の旅行記は、夫々「ダッタンの山々」,「カラコルムからパミールへ」に詳しい。私も、若かりし頃から、これらの探検記を愛読し、思いをはせてきたが、大学を退官する節目に、やっと永年の夢が実現したことになる。所が、この間ドラブル続出し、夢が叶うどころか苦難の旅に終わる。これは、自然災害ではなく、明らかにS社添乗員N氏の不手際による人災である。以下、旅の詳細について記す。
 11:00、成田第二ターミナル前に集合。参加者は12人、内訳は男性3名女性9名と大多数が女性である。しかも、7名の女性が、御主人を置いての単独参加である。所で、今回のツアーには、帰国時に機中泊が含まれており、睡眠不足に弱い私は、ビジネスクラスを申し込む。通関後、ラウンジで時間を潰していると、もう一人のツアー客の方が、笑顔で挨拶される。実にさわやかな方である。聞けば、何と私とひらがな姓が同一で、我が愚妻と髪型もそっくり、しかもイニシャルまで同じである。ここまで一致するのは、極めて低い確率と思われるが、これも何かのご縁であろう。
 定刻14:00、パキスタン航空PK853便は北京に向け出発する。所がこの飛行機、エアバス社初期のA310型である。ざっと言って、20年以上前の老朽機であろうか。別途、WEB上で調べた所、A310型の初就航が1983年、生産中止が1998年とのことなので、あながち見当外れの予想では無かろう。なお、機体の疲労寿命は20年と言われているので、何時墜落してもおかしくない状態である。少なくとも、今回の旅行中は、何事もないことを願うばかりである。
 北京空港では、機内にて1時間半も缶詰状態になったが、無事イスラマバードに向けて離陸する。ビジネスクラスの席も、中パのビジネスマンで、満席である。途中、月明かりに幻想的に浮かび上がる雪山を通過する。位置からして、ヒマラヤであろうか? そうこうするうちに、イスラマバードに近づいてくるが、何となく様子が変である。機内アナウンスによると、"サンダーストーム"のため、着陸不可とのこと。何度か着陸を試みた模様だが、結局着陸を諦め、約300km南のラホールに向かう。今夜は、この近くのホテルで一泊と思いきや、何と機内で延々5時間も待機させられることになる。この間、1時間毎にイスラマバード空港の状況がアナウンスされ、安心して寝ていられない。結局、添乗員N氏が席に説明に来ることもなく、イスラマバードに舞い戻る。別途、このときのN氏の状況を、ツアー客に確認した所、何とこの緊急事態に、ずっと眠っていたとか! 緊急時の対応が極めて甘く、これだけでも添乗員失格である。
 27日(土)04:00、一睡もできないまま、イスラマバード空港に到着する。早速、宿泊予定だったホテルで一息入れるところだが、同社の他グループの荷物が出てこないとかで、N氏の判断で、ベルト前で延々1時間も待たされることになる。当初、同じバスを利用するためかと思ったが、何とバスは別々。ホテルでは、10分間で朝食をとった後、空港にとんぼ返りである。この間、シャワーは勿論、お化粧/歯磨きする時間も満足に取れず、特に女性人から不満が出る。結局、ギルギット行きの飛行機は飛ばず、延々500km以上も、小形バスで中間点のチラスに向かうことになる。3時間も走ったであろうか、カラコルムの雪山が、初めて顔を出す。ここで、素早くこの雄姿を撮影して車中に戻る。ただ、その後も間曲りくねった悪路を飛ばすため、普段車酔いしない私も、気分が悪くなる。次のトイレ休憩時に、N氏に薬を求めても、スーツケースの中なので取り出せないと、そっけない。本来なら、客の異常事態に備えて、最低限の薬は用意すべきであろう。案の定、一人の女性客が気分が悪くなり、停車を求める。彼女は、車外で胃の内容物を吐き、車中に戻るが、この間N氏は薬を与えることも介抱もせず、車中にて待機である。移動中も、運転席の後列で、客の肩を枕に、何時も居眠り。正に、添乗員の風上にも置けない輩である。
 カラコルムハイウエー(以下KKH)の真っ只中に入ると、幹道の周辺に並ぶ民家の他に、急斜面にへばりつく様な家が点在する。目だった小道もなく、どうやってそこまで辿り着けるのか不明だが、薪拾い等を生業としているため生活は貧しく、子供も満足に学校に行けない状態とか。一方、町の境界には検問所があり、自動小銃を担げた武装警官が、車内に乗り込んでくる。正にテロ多発国家の緊張が、直に接伝わってくる。所で、KKHは現在も各所で拡幅工事が行われており、それを指揮するのは、何と中国人技術者である。このインフラ整備のための資金も、当然中国から大部分が出ているのであろうが、その目的は改めて説明するまでもない。近年、中国のアジ地域に対する進出は凄まじく、嘗ての親日国が親中国に変化している。ミャンマー,カンボジア,タイ等、枚挙に暇がない。そんな話を、Yさんとしつつ、この悪路を10数時間かけて走破し、午後11時過ぎやっと本日の宿に到着する。深夜の夕食をめぐって、参加者とN添乗員とひと悶着あったが、内容は省略する。
 28日(日)、インダスの朝が開ける。ホテルの背後には、雄大な雪山が顔を出している。地図からすると、カマイン山(標高5493m)であろうか。これから次々と現れるであろう7000~8000m級の名峰が楽しみである。ここから、KKHを北東へとひた走る。途中、トイレ休憩を兼ねて、温泉が湧き出るタタパニにて停車する。水温は60℃以上もあろうか。意外な熱さに、思わず手を引っ込める。三大山脈ジャンクションポイント(ヒマラヤ,カラコルム,ヒンズークシ)にも近く、現在でも、造山運動が続いている証拠であろう。次に、世界第九位の高峰ナンガパルバット(標高8125m)のビューポイントを訪れる。生憎山頂付近には雲がかかり、その雄姿は拝めないが、この際、帰路に期待するしかない。ここから40分程走り、シャグロットに近づくと、その先が大渋滞している。何事かと思ったが、現地ガイドのH氏の話では、インダス川に架かる橋に亀裂が入り、現在通行禁止とか! また、仮橋を設置中だが、完成まで一週間程度を要するとか。正に万事休すである。結局ここで昼食を挟んで、延々3時間弱待たされる羽目になる。近くには、デコトラ(派手なデコレーションを施したトラック)が数珠繋ぎになっている。嘗て、デコトラといえば、英国のベッドフォード製ボンネット型と決まっていたが、今は日本のいすゞ/日野等のキャブオーバー型が大勢を占めている。それにしても、ここまでど派手にする目的は何なのであろうか?文化の違いといえばそれまでであるが、少なくとも私の感覚では、窺い知ることはできない。一方、気温は30℃を遥かに越し、日焼けを嫌う女性陣は、スカーフで完全武装である。Sさんなど、現地人と間違われるほど旨く化けられている。差し詰め、オサマ・ビン・ラディン第三婦人と言う所か。近くのチャイハナ(茶店)では、男性達が紅茶とナンで昼食の真っ最中である。我々日本人が珍しいのであろうか、鋭い目付きで睨み付けられる。当初、写真を撮るのを躊躇したが、思いきってカメラを向けると、意外と気軽に撮影に応じてくれる。更に撮ったばかりの画像を見せると、自分が写っているのを確認して、喜んで去ってゆく。これも、言葉を介さない一種のコミュニケーションである。
 14:00前、やっと対岸に代車が到着したので、徒歩で人用の仮橋を渡る。車に乗り込むと、シートの表皮が捲れ上がった、相当の年代物である。ここから、本日の最終目的地カリマバードまで、果たして行き着けるかどうか不安である。これは、自動車会社にて、永年開発エンジニアをやってきた私の第六感である。この予感が、後に見事的中することになる。それでも、三大山脈ジャンクションポイントまでは、何事も無く進む。カラコルム(黒い砂礫)の名のとおり、中央の山肌は黒味がかっており、右手から流れ込む川水が、少し黒ずんでいるのが確認できる。
 シルクロードのオアシス・ギルギットに着いたのが17:00前、トイレ休憩の後、更にカラコルムハイウエーを北上する。2時間程度走ったであろうか、夕闇迫る中、急遽人家の無い崖淵で、トイレ休憩となる。この間、私が用を足していた所、休憩時間内にも拘わらず、何と私を残して発車してしまう。大声で車を呼び止めたが、後の祭りである。50m位走ったところで車が止まったので、駆け寄り、私を置いて発車した理由を問いただすと、「だから、留まりました。」と嘯く。全く答えになっていない詭弁である。自分の非を認めず、こんなピント外れの答えをする人間は、本学の学生にもいない。別途、乗客に確認した所、その内の一人が、私がいないことに気がついて、運転手に停車を命じたとか。余りにもいい加減さに、怒りを通り越して、あきれるほかない。
 この後、車両のトラブルが次から次と続く。先ず、エンジンがオーバーヒートし、偶々見つかったガソリンスタンドで、急遽冷却水を補給する。私も、長年トラックの開発設計に携わっていたため、オーバーヒートの後は、最悪ピストンが焼きつき、走行不能となることが十分想定できる。結局、エンジン再スタート時、回転不調であったものの、そのまま出発する。ところが、今度は車内に煙が充満し、異臭が漂うようになり、私が大声で停車とボンネント内のチェックを要求する。こんな事態になっても、彼は現地係員にお任せで、本人は車内でボケーとしているのみで、危機意識が全く感じられない。チェックの結果、車両火災の心配はないとのことで、そのまま出発する。所が、暫くすると、今度はギアーが入らなくなり、走行不能に陥る。漆黒の闇の中、懐中電灯の明かりで、トランスミッションケースを開け、修理が始まる。だが、ギアーオイルが高温になっていたため、運転手が手に火傷をする。先程の煙は、この油かラジエーターホースが焦げたもと推定できる。この先、この車がどうなるか判からないので、同時並行で、代車をカリマバードから派遣するように要求する。所が、彼はのらりくらりと、答えをはらかすのみである。押し問答の末、彼もしぶしぶ代車手配を認めたので、約40分遅れで出発する。
 ところが、今度はヘッドランプが消灯してしまい、そんな中でも、懐中電灯を照らして、そのまま走行する始末である。正に危険運転そのもの。もし、穴凹にハンドルをとられ、谷底に転落でもしたら、誰が責任を取るのであろうか! 客の安全を無視した危険極まりない行為である。結局数分後に、運よくヘッドランプが点灯したので、そのまま走行する。ところが、代車とは行けども行けどもすれ違わない。結局、カリマバードのホテルに到着したあと、改めてその理由を彼に問いただすと、「このまま大丈夫と思ったので、途中でキャンセルしました。」と、悪びれずにのたまう。本当に代車は要求したか否か不明だが、彼のこれまでの言動からすると、それすら疑わしい。危険回避策も自ら立てられずに、成り行き任せ、正に彼の無責任極まりない本性が暴露された形である。しかしながら、私も今回の危険極まりないバスを、明日再使用しないことを確約させる。連日の深夜の到着と睡眠不足、疲労は極限にまで達していた。

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