*** 2010年3月29日 桃源郷フンザ ***

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1.カリマバードの朝1
(フンザエンバシー)
2.カリマバードの朝2
(フンザエンバシー)
3.カリマバードの朝3
(フンザエンバシー)
4.アンズの花1
(カリマバード)
5.アンズの花2
(カリマバード)
6.アンズの花3
(カリマバード)
7.アンズの花4
(カリマバード)
8.ウルタル峰の前山 9.バルチット城1 10.バルチット城2 11.雲間のウルタル峰 12.フンザの少女達1
13.フンザの兄妹 14.フンザの娘2 15.フンザの
子供1
16.フンザの
子供2
17.ハセガワ・
メモリアル・
スクール全景
18.ハセガワ・
メモリアル・
スクールの校章
19.女性教師達 20.若手女性教師 21.校長 22.授業風景1 23.授業風景2 24.野外授業風景
25.アンズの花4 26.アンズの花5 27.フンザの少女1 28.フンザの少年達1 29.アンズの花6 30.アンズの花7
31.アンズの花8 32.アンズの花9 33.バルチット城
への急坂1
34.バルチット城
への急坂2
35.バルチット城3 36.雲間のウルタル峰
(バルチット城)
37.カリマバード
の町並1
(バルチット城)
38.カリマバード
の町並2
(バルチット城)
39.フンザ川1
(バルチット城)
40.フンザ川2
(バルチット城)
41.桃源郷フンザ1
(バルチット城)
42.桃源郷フンザ2
(バルチット城)
43.桃源郷フンザ3
(バルチット城)
44.桃源郷フンザ4
(バルチット城)
45.桃源郷フンザ5
(バルチット城)
46.城内の階段
(バルチット城)
47.城内の牢獄
(バルチット城)
48.王族の衣装
(バルチット城)
49.会議室
(バルチット城)
50.ランネデックの
天井
(バルチット城)
51.食堂
(バルチット城)
52.窓からの眺め
(バルチット城)
53.天井の彫刻
(バルチット城)
54.最上階のテラス
(バルチット城)
55.バルチット城下
の民家1
56.バルチット城下
の民家2
57.フンザの
少年達2
58.フンザの
子供達1
59.フンザの
子供達2
60.フンザの
子供達3
61.フンザの
子供達4
62.フンザの少女2 63.働くフンザの
少年1
64.働くフンザの
少年2
65.働き者の女性達 66.ポーズをとる
山羊
67.ウルタル峰
のV字谷1
68.ウルタル峰
のV字谷2
69.アンズが咲く
登山道2
70.ベルチット城
背面2
71.ウルタル氷河
からの水路
72.トレッキング
チーム
記念撮影
73.フンザの里1 74.フンザの雪山1 75.フンザの雪山2 76.フンザの雪山3 77.フンザの雪山4 78.フンザの雪山5
79.フンザの雪山6 80.フンザの里2 81.ドゥイカルの丘 82.レディー・
フィンガー&
フンザピーク1
83.レディー・
フィンガー&
フンザピーク2
84.フンザエンバシー
での夕食

 3月29日(月)、フンザの朝が開ける。ホテルのベランダに出てみるが、生憎の曇天で、カラコルムの名峰は雲間に隠れたままである。それでも、眼前には、アンズが満開の長閑なフンザの里が広がっている。元気な女性陣の中には、早朝の散歩と洒落込んでいる人もいる。朝食時、N氏から、道路の崩落事故のため、北部フンザ訪問が不可となった旨の、長々とした説明がある。今回のハイライトではあるが、自然災害とあれば止むを得まい。
 午前中は、先ずハセガワメモリアルスクール(以下HMPS)を訪問する。アンズが咲く坂道を登って行くと、ポプラ並木の間から、バルチット城が望める。ウルタル峰をバックに悠然と聳える姿は、実に存在感がある。更に大通りを進むと、次々と子供達に出会う。カメラを向けると、少しはにかんだ様子で後ずさりするが、そのまま待っていると、撮影をOKしてくれる。色白で目鼻立ちのはっきりした、実に可愛い子供達である。流石に、アレキサンダー大王の末裔と言われるだけのことはある。次に、恋人同士と思しき二人連れとすれ違う。聞けば本当の兄妹とか。中々綺麗な英語をしゃべるお二人である。この女性も、はにかみながらも撮影に応じてくれる。ただ、タジク族風の帽子を被った中年女性は、頑強に撮影を拒否する。民族/年齢に応じて様々であるが、撮影の前に事前に断るのが、我々のマナーであろう。
 50分程でHMPSに到着する。この学校は、名登山家・長谷川恒夫氏の遺志を奥様が引き継ぎ、1997年に設立されたものである。以降、日本の多くの有志からの支援で、増築が繰り返され、現在3棟の校舎で、幼稚園から中学まで400名以上が学んでいる。校庭の隅では、5人の女性がたむろしている。一番若手の女性に伺うと、全て教師で、次の授業の準備中とか。中々流暢な英語を喋る方である。スカーフも着けておらず、英国美女と言っても通じる位である。校長から歓迎の挨拶の後、授業風景を見せて頂く。今後日本からの支援が滞り、中国に取って代わられることがないことを、祈るばかりである。
 次に、バルチット城に向かう。石畳の急な階段を登っていくと、豪壮な城郭が現れる。若かりし頃、大谷探検隊の紀行記(白水社版:大谷探検隊 シルクロード探検)に、この城の白黒写真を見つけ、何時の日にか、この雄姿を写真に収めたいと考えていた。今正にそれが実現し、感無量である。所で、隊長・大谷光瑞の日記には、ミンタカ峠側を越えて、1902年10月23日、この地に入ったとある。このとき、藩主(ミール)と面会しているが、1974年にこの制度が廃止された関係で、現在は警備兵が残るのみである。日本語が達者なガイドIさんの案内で、一階から最上階へと巡っていくが、残念ながら大谷探検隊の話は全く出て来ない。料理部屋の天井には、"ランネデック"と呼ばれる、明り取り兼煙突用の天窓が設けられている。最上階の3階に登ると、テラスとなっており、カラフルなガラスがはめ込まれている。ステンドグラスに詳しいSさんによると、単なる色ガラスとのことである。屋上に登ると、フンザの里の大パノラマが広がっている。望遠で狙うと、白いアンズの花と、薄緑色のポプラのバランスが、何とも美しい。ここから、土産物店を冷やかしつつ、ホテルに戻る。店のショーウインドウには、"ラピスラズリ"と呼ばれる真青な石が陳列されている。古来から、宝石或いは青色の高級顔料として用いられてきただけあって、石単体でもそこそこの値段がする。店員によると、金が混じっていており、大変お買得とのこと。一見すると、金のようにも思えるが、実は黄鉄鉱(鉄鉱石の硫化物)が混じったものである。結局、このようなまやかしの店は避け、他店の実直そうな店員から、約3割引で購入する。
 昼食後、トレッキングに挑戦する。先程のバルチット城の背後を巡る、行程約12km,標高差約500mのコースである。途中、薪を背負った子供達や女性とすれ違うが、男性の姿は殆ど見かけない。働いているのは女性と子供達のみで、男性共は一体何をしているのであろうか。そのなことを考えつつ、緩やかな坂道を登って行くと、V字谷に到着する。この谷間から、ウルタル峰の岩壁が望める。それにしても、何たる迫力。標高差5000mにも及ぶ垂直の壁がそそり立っている。ただ、残念ながら、その頂は厚い雲に覆われたままである。中間点辺りを過ぎると、恐れていた通り雨が落ちてくる。一応雨支度はしてきたので人間様には問題ないが、命の次に大切なカメラが故障しては、元も子もない。それでも、3時間弱で、ホテル・イーグルス・ネストに到着する。まだ、車での御一行が到着していないので、ホテル内のストーブ前で休憩する。少し転寝したであろうか、全員集合となったので、有志でドゥイカルの丘を目指す。生憎の天気で、依然としてウルタル峰は姿を見せないが、雲が流れており、暫くここに留まることにする。帰りかけていたところ、雲の切れ間から、レディー・フィンガーとフンザピーク(双方共標高6270m)が顔を出す。まあこの天気で、二峰が撮影できれば、満足せざるを得まい。帰路は、ジープでホテル・フンザ・エンバシーに戻る。

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