*** 2010年3月30日 天空の峰とアンズの里 ***
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3月30日(火)、本日は予定より1時間も早い4時半のモーニングコール、6時出発である。朝食時、添乗員N氏より、また長々と北部フンザに行けない理由説明が始まる。その中に、謝罪する様子は見られず、正に自己弁護に徹している。客にとって、出来ない理由を何度も聞かされては、たまったものではない。また、昨晩も、本日のスケジュールを説明する中で、午後ホテルに戻ってくるにも拘わらず、6:00の荷物出しを要求する始末である。要するに、客の都合より自分の利便性優先である。流石に、数人の客からクレームがつく。その場では、Hさんに相談するとお茶お濁し、その後しぶしぶ出発前の荷物出しをOKする。今風に言えば、"KY"或いは"ジコチュー"の典型である。鬱陶しい話はこれまでにして、本日の出来事について記す。 愈々、フンザを離れる日である。ただ、この二日間、カラコルムの秀峰"ラカポシ(標高7788m)"は姿を見せず、このままでは何とも立ち去りがたい。そんなことを考えつつ、ホテルのベランダから、南西の空を眺めていると、突然雲が切れ真白な雪山が現れる。すわ"ラカポシ"かと、傍にいたHさんに伺うと、唯の5000m級の無名峰とか。そのうち、雲の切れ間から、ほんの一瞬白銀の峰が姿を現す。先程の無名峰より遥かに高く、まるで天空に浮かんでいるようである。今度こそ"ラカポシ"かと、H氏に再確認すると、それは"ラカポシ"の稜線で、頂はずっと左手の雲の中とか。まあそれでも、このような崇高な写真を物にでき、感無量である。 次に、4台の4駆車に分乗して、周辺の村々を探訪する。まず近くのアルチット村を散策する。この村の中心部は、迷路のようになっており、嘗てこの地が軍事要塞として、フンザ川を挟んで、ナガール村と対峙していたことを伺わせる。村の集会場で写真を撮っていると、何処からともなく、子供達が集まってくる。カメラを向けると、緊張する様子もなく、ポーズを取ってくれる。目のパッチリした実に可愛い子供達である。曲がりくねった路地を抜けると、"アンズの園"に到着する。落花が一面を覆い、絵も言えぬ雰囲気を醸し出している。村の外に出ると、見張台とも言うべきアルチット城が望める。現在は無用の長物となったためか、荒廃が著しく、観光客には解放されていない。帰り際ふと見ると、一人の女の子が、友人と談笑しつつ、側溝の水を手で掬って飲んでいる。日本人の感覚からすると、不潔に見えるかも知れないが、氷河から流れ落ちる水は、ミネラル分豊かで、衛生上も問題ないのであろうか。 その後、フンザ川を渡り、葛篭織れの道をナガール村へと向かう。アルチット村より標高があるせいか、丁度今がアンズの見頃である。村の外れからは、ゴールデンピーク(標高7027m)の雄姿が望める。雪をも寄せ付けない垂直の壁が、天空へと伸びている。更にホーパル村に向かっていると、左手に雄大なヒスパー氷河が白銀に輝いている。だが、残念ながら車は右に折れ、ホーパル氷河を目指す。ビューポイントからは、表面が少し黒ずんだ氷河が望める。始めて見る氷河であるが、中々迫力満点である。出来れは、近くに寄って、神秘的なグレーシャーブルーを、写真に収めたいところだが、残念ながら下るルートが見当たらない。氷河の奥には、巨大な氷壁がそそり立っている。山頂は望めないが、北杜夫の小説"白きたおやかな峰"の舞台となった"ディラン(標高7257m)"であろう。だが、"たおやか"どころが、正に削ぎ落としたような荒々しい山容である。ヨセミテのハーフドーム同様、氷河時代に大陸氷河が削った痕跡であろうか。いずれにしても、山自体は、方角によって様々な姿を見せるものである。駐車場に戻ってくると、外国人と思しき親子連れが、話し込んでいる。発音からすると、英国人であろうか。話しかけると、英国出身だが、イスラマバード住まいとか。中国の影響力が益々強くなる中、嘗ての宗主国からの移住者も、未だにいるようである。 ここから、一度ホテルに戻り、KKHを一路ギルギットに向かう。途中、崖下の河岸段丘上に、へばり付くような村を通過する。絶壁の高さは、100m以上もあろうか。何とも凄まじい光景である。次に、2時間半程走った所で、トイレ休憩する。ふと対岸の断崖を眺めると、露となった地層が、略垂直方向に走っている。また一部の地層は、途中で断絶したり褶曲したり、夫々が複雑に絡み合っている。正に、地殻変動の激しさを物語る光景である。一方、崖の中央部には、嘗てのシルクロード(現地英語名:Silk Route)と思しき道が確認できる。だが、その先は崩落しており、玄奘三蔵の時代のカラコルム越えは、正に生と死が隣りあわせであったことが実感できる。茜色に染まるカラコルムを眺めつつ、ギルギットへと急ぐ。 |