*** 2010年8月24日 富士山新五合目付近 ***
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8月初旬、オーストリアからの短期留学生・Eva Hasenhutl(2009年8月末渡欧時レオベンにて面談/会食)が来日し、彼女の希望を入れて、日本の象徴・富士山新五合目に挑戦する。私にとっても、富士山は約20年ぶりであり、周辺がどのように様変わりしているか楽しみである。一方、この件を、日頃お世話になっている鈴木先生に御相談したところ、栗山さん御一家(ご長女のファミリー)とお隣の山口さんと共に、5名で参加して頂けることになる。ただ、朝にまるで弱い私は、当初8:00JR藤沢駅出発を計画したが、朝に強い鈴木先生の大反対にあい、5:00と7:00出発の二班に分かれて、平日富士山に向かうこととなる。私はやや組合せに不満があったが、結局先発組は、鈴木先生,山口さん,栗山さん御一家の5名、後発組は、私と都内から参加するEvaの2名ということにあいなる。 8月24日(火)7:00、JR藤沢駅で無事Evaをピックアップする。聞けば、5時前起床とのこと。少々可哀そうな気もしたが、本人は至って元気そうである。中々流暢な英語を喋るスマートな女性である。ここから先ず厚木ICを目指す。この時間帯なら、比較的すんなりと高速に入れると思いきや、門沢橋手前から先が、にっちもさっちも行かない状態である。8:12、渋滞の真っ只中、鈴木先生から電話が入る。既に新五合目に到着されたが、平日にも拘らず駐車場が満杯とか。9時過ぎ、やっと東名高速に入る。足柄SAで昼食を買い込んだあと、御殿場ICで高速を降り、富士山スカイラインを新五合目へとひた走る。途中、申し訳なさそうに、昼食時間を聞かれる。12時頃でどうかと答えると、下を向いて、分かりましたとのこと。私も気を利かせば良かったのだが、どうやら早朝の出発で、小腹が空いてきたようである。そこで、車内で食べても一向に構わないと言うと、嬉しそうにサンドイッチを頬張る。最近の学生にしては実に奥ゆかしく、好感が持てる。ついでに、最近の日本人女性の車内での化粧について苦言を呈すると、母国オーストリアでは考えられないこととか。国際的にみても、マナー以前の、恥知らずな行為であるのは間違いなかろう。打ち解けてきたところで、オーストリアで一番印象的な場所を聞かれたので、即座に2002年夏に訪問した"Bad Aussee"と答える。更に、誰かのお薦めかと聞かれたので、Dr.Krisper(彼女の主任教授のメーカー時代の元上司)の御招待で、彼の別荘に三泊させて頂き、一緒にローザ山に登った話をしたところ、目を丸くして吃驚している。実は、Evaのお父さんが"Bad Aussee"にお住まいで、彼女もこの山を良く知っているとか。出会いとは実に不思議なものである。これが私が良く遭遇する、シンクロニシティーの真骨頂であろうか。このブロブをご覧になった方々も、"ハイジの世界"のような以下の写真を、別途ご覧になって頂ければ幸いである。 BR> 10:30、やっと新五合目に到着する。しかしながら、鈴木先生の事前の情報通り、駐車場は満杯である。仕方がないので、前の車に従って周回路を巡って行くと、幸運にも売店の裏手に駐車スペースを発見する。鈴木先生と連絡を取ると、既に新七合目とか。我々が、これから登り始めることを告げ、途中で合流することにする。新五合目付近は、荒涼たる火山灰地と思いきや、意外と植物が豊富で、濃紫色の"トリカブト"や黄色の"アキノキリンソウ"が、緑の草叢に彩りを添えている。標高2400mの登山口で記念撮影後、先ず新六合目を目指す。傾斜自体は別段きつくないが、中々ピッチが上がらない。私が撮影している合間にも、Evaはどんどん私を引き離していく。聞けば、日頃水泳で鍛えているとか。要するに、心肺機能の差のようである。そうこうするうちに、新六合目の山小屋・雲海荘(標高2490m)に到着する。ここで休憩し、鈴木先生御一行を待つつもりであったが、携帯で連絡したところ、新七合目の小屋で昼食中とか。ここで待ちぼうけも何なので、我々もそちらに向かうことにする。この辺りから、傾斜がきつくなり、息切れと共に軽い欠伸も出るようになったが、足元の蓮華に似た紫の花が、元気づけてくれる。 6合目(標高2600m)手前まで来ると、斜面にお花畑が広がっている。艶やかなピンク色の花は、荒地に強い"ヤナギラン"であろう。その奥には、"オンダテ"とは別種の白花が、日の光を受けて銀色に輝いている。これを超望遠(420mm)で覗くと、どうやら北海道でよく見かけた、"ヤマハハコ"のようである。更に、レンズを登山道側に向けると、下山中の鈴木先生御一行が確認できたので、ここで暫し花々を撮影しつつ待つことにする。 12:30、やっと全員集合となり、初めて挨拶を交わす。最年長のお二人は、共に富士山は2度目とか。山口さんは、今回亡き御主人愛用のステッキを携えての弔登山である。栗山ファミリーは、今回が初めてであるが、実咲ちゃん(中2)と萌衣ちゃん(小4)が、一番元気だったとか。ただ下りは足が踊り、転倒する場面もあったようである。それにしても、すごい頑張り屋さんである。ここから、新六合目まで一緒に下り、我々は遅い昼食を取る。 13:24、宝永火口に向けて雲海荘を後にする。小屋の直ぐ近くには、"ハイマツ"に似た樹木が、登山道両脇を覆っている。葉の先端を良く見ると、"カラマツ"の形をしており、風雪に耐えて、このような形になったのであろう。さしづめ、"ハイカラマツ"というところか。なだらかな登山道を5分程下ると、雄大な宝永火口が現れる。ここで、記念撮影をしたのち、更に火口に向けて下る。ただ、麻衣ちゃんが同行を拒否して、お母さんをてこずらせている。所で、宝永山の名前の由来は、江戸中期の宝永4年(1707年)に、富士山腹から大噴火したことによるが、以降300年余り富士山は休眠状態にある。噴火口は3つあり、上部の第一と下部の第三が特に雄大である。また、第三火口壁には、"ホタルブクロ"が群生し、その周辺の小石は、白く粉を噴いている。場所柄からして、硫黄の結晶と思われるが、こんな可憐な花が、よくも強酸性土壌で子孫を残せたものである。一方、北海道の活火山・樽前山でも、そのカルデラに"イワブクロ"や"イワギキョウ"が点在し、数少ない昆虫に確実に受粉させるためか、袋状の花弁になっている。それ以外の植物では、両山とも"イタドリ"が幅を利かせている。所で、イタドリは、シーボルトが幕末に母国に持ち帰って以来、猛烈な勢いでヨーロッパ全土に広がり、固有種を駆逐する勢いとか。私自身も渡欧の度に、オーストリア,ハンガリー他でイタドリを見かけており、各国で駆除の対象になっているようである。帰路、巨大な"フジアザミ"を撮影し、宝永火口を後にする。 今回、Evaの東工大短期留学中に、鈴木先生,山口さん,栗山さん御一家と共に、冨士登山に挑戦した。私自身は、新五合目付近の散策に近かったが、ローザ山でも見かけた"ヤナギラン"や"トリカブト"にも再会でき、十分富士山を堪能することができた。機会があれば、富士山頂を極めたい気もするが、現在の私の体力ではあきらめざるを得ない。ここは、美女同様、遠くから眺めるほうが、私の性にあっているようである。 |