*** 2010年10月2日 知床五湖/羅臼港/野付岬 ***
写真や下の文字をマウスでクリックすると大きく表示します。
10月2日(土)本日も晴天、いよいよ旅行最終日である。だが、昨日の摩周岳登山の疲れもあって、思いの外朝寝をしてしまったので、早々に朝食を済ませ、知床第一ホテルを後にする。海岸沿いの道を進むと、10数分で知床五湖の入口に到着する。意外や、駐車場はがら空きで、我々が先発組のようである。一周3㎞、普通のペースで回ると、1時間半の行程である。そこで、大山さんと相談の結果、一湖から順番に巡ることにする。木道を通り一湖まで来ると、"エゾシカ"が数匹長閑に草を食んでいる。姿形からして、若い雌のようであるが、人間を怖がる仕草は全く見せない。湖面の奥には、知床の山々が屏風のように連なっている。だが、残念ながら、最高峰の羅臼岳(標高1660m)山頂付近は、雲間に隠れたままである。ここは、じっくり雲が晴れるのを待つしかあるまい。 次に、五湖中最大の面積を誇る二湖を訪れる。本日は無風状態、鏡のような湖面に知床連山を映しこんでいる。一方、対岸の樹木も黄葉し始めているが、紅葉は未だである。三湖に入ると、様子が一変し、様々な景色が展開する。先ず、大山さんが、木道脇に"キツツキ"の食痕を発見する。その近くには、橙色の"ツタウルシ"が見られる。更に湖を半周すると、今度は立派な角を持った"エゾシカ"が現れる。実に堂々としていて、貫禄十分である。足元の笹を踏むと、その音に反応してこちらを向いたので、素早くシャッターを切る。雑木林の中を抜けると、四湖が顔を出す。知床連山をバックに、ひっそりとした佇まいを見せる、中々情緒溢れる湖である。他の観光客からも、ここが一番との声が聞こえてくる。最後に、五湖にたどり着く。水面を水草が覆い、対岸には真っ赤なツタウルシが点在している。ここから、元来た入口に戻る。途中、雑木林の中に、色艶やかな"ツタウルシ"が多くみられる。逆光に映える紅葉が、何とも美しいが、美女同様、余り近づかない方が無難である。結局、2時間かかって出発点に戻る。予定より30分オーバーというところか。 11:46、知床五湖を後にし、知床峠(標高740m)に向かう。途中、快調に走っていたところ、前の車が急にスピードを落とす。見れば、何と"キタキツネ"の子供が、道路を横切っている。そこで、下車してこの様子を撮影する。好奇心旺盛なのか、カメラを構えると、寝転んだり、牙を見せたりする。結局、ここで、5分程道草したが、更に葛篭折りの坂道を登っていくと、下ってくる多くの人々とすれ違う。何かのイベントであろうか。 12:18、知床峠に到着する。相変わらず、羅臼岳は姿を見せず、猛烈な寒風が吹き荒れている。当初、この周辺の羅臼湖を散策する予定であったが、この寒さで、急に意欲が失せる。遥か彼方には、北方領土の国後島が横たわっている。結局、早々に知床峠を去り、国後島の全貌を掴むため、羅臼港に立ち寄る。 急坂を下りきり、海岸沿い道を暫く行くと、羅臼港が現れる。ここに暫く駐車して、港内を巡回する。カモメが並ぶ防波堤の先には、国後島が間近に望める。距離にして僅か20数㎞、超望遠で覗くと、国後島の断崖が眼前に迫る。 所で、国後島は、戦後の1945年8月28日から9月2日にかけて、ソ連が日ソ中立条約を無視して侵攻し、同国が1991年末に崩壊した後も、ロシアが実効支配を続けている。だが、1945年2月、戦後処理を巡って、ヤルタにて米英ソで秘密会談が持たれ、米国が樺太/千島列島をソ連に引き渡すことを条件に、ソ連参戦を促したとされる。なお、この時点で、北方4島は、千島列島に含まれていないのは、言うまでもない。この際、仕掛け人は、ルーズベルトであったが、したたかなスターリンは、これに満足せず、北海道占領が困難と見るや、手薄となった北方4島に、強引に侵攻したのが実態であろう。余談であるが、もしこの時、日本がドイツ/オーストリアのように、東西両陣営により分割統治されておれば、日本の経済発展は望むべきもなかったであろう。だが、米国の単独統治下で、憲法まで変えられ(ドイツは改憲されなかった)、国際舞台では、正論すら吐けない弱小国家になり下がってしまった。とは言え、現実は、戦後60年経った今でも、米国の傘下にあり、米国の弱体化並びに米国との関係悪化は、日本の安全を危うくする。ここは、米国との関係を悪化させない範囲で、自主防衛/自主独立を、名実ともに図っていく必要があろう。 先般の尖閣列島問題に関しても、中国に気兼ねして、証拠のビデオさえ、政府は公開しない始末である。言うべきことを言わずに、守勢に回ると、相手は更に弱点を突いてくる。私の昨年の講義資料(国際関係論)で恐縮だが、孫子の兵法に例えると、先ず「水の形は高きを避けて下きに趨き、兵の形は実を避けて虚を撃つ。」が挙げられる。要約すると、《水が、高い所を避けて低い所へ流れるように、戦闘は敵の強い所を避けて、弱い所を狙って攻めなければならない。》という意味である。次は、「善く戦う者は、人を致して人に致されず。」である。即ち、《名将は自分が主導権を握っており、敵に引き回されることはない。》というところか。更に付け加えると、船長自から故意に船を衝突させておいて、一方的に中国政府が日本政府に謝罪しろとは、正に"詭弁"であり、ヤクザゴロツキよりも達が悪い。故事成語考によると、"詭弁"は、司馬遷の"史記"に登場し、「蘇秦、張儀は、合従や連衡の策などの"詭弁"を弄して、国々を危険にさらした。」のを、彼が批評したものとある。また、トレンド百科事典によると、《詭弁とは、命題の証明や説得の際に、実際には誤りである論理展開を故意に用いて、自分の望む結論を導き出すこと。》こととある。現在は、グローバル化の時代であり、"孫子の兵法"や"詭弁"を弄しすぎると、それが全世界に知れ渡り、"国家の品格"が問われることとなり、各国からの信頼も得られなくなるのは、言うまでもない。 一方、新聞情報によると、ロシアのメドベージェフ大統領が、近々北方領土訪問を画策中とか。所で、この大統領は、2006年から2009年にかけて、EU圏への天然ガス供給を巡って、その拠点となるウクライナに、圧力をかけ続けたガスプロム社の元会長であり、彼の朋友(親分)が、元KGBのプーチン首相(元大統領)である。何れも、一癖も二癖もある一筋縄では行かない人物である。今回も、日本の対中弱腰外交を見て、露・大統領が、堂々と北方領土を訪問する公算が大である。暗澹たる思いで、国後島を眺めていると、任務を終えた巡視船が入港してくる。そこで、船着き場に向けて歩いて行くと、既に巡視艇"かわぎり"が停泊している。この船員の方から、大型船が入港してくるとの情報を得たので、そちらに向かっていると、先程の巡視船(てしお:500t)が静かに着岸する。 ロシア当局との駆け引き等、日々大変だと思うが、体を張って、日本漁船の生命と財産を守ってほしいものである。13:20、羅臼港を後にして、最後の訪問地・野付半島に向かう。 国後島を左に見つつ、国道244号線を南下すると、野付半島への分岐点が現れる。ここを左に折れ、"フラワーロード"を20分程爆走すると、トドウラに到着する。この半島は、全体がエビのような形をしており、トドウラは尾の屈曲部に相当する。周辺には、原生花園が広がっており、遊覧馬車も運行されている。 ただ、この時期は、既に花の盛りを過ぎており、"ハマナス"の花が数輪確認できるのみである。近くの木製展望台に登ると、羅臼岳がやっと全貌を現わす。 超望遠で狙うと、山頂部の溶岩ドームが確認できる。目を国後島に転じると、台形状の羅臼山(標高888m)が望める。何時の日にか、この山に、大山さんと共にビザなしで、訪れたいものである。ここから、中標津空港に向けて、車を走らせる。 今回、室蘭工大での集中講義後、大山さんと共に、3泊4日の道央/道東旅行に出かけた。好天にも恵まれ、十二分に北海道の秋を堪能できた。運転/撮影の際にも、嫌な顔一つせず御協力頂いた大山さんに、改めて感謝申し上げたい。機会があれば、またどこかの旅行に、御一緒したい。 [総走行距離/燃費:650km/21.6km/L] 《後日談》:恐れていた通り、11月1日、ロシアのメドベージェフ大統領が、国後島を訪問した。更に、今後歯舞/色丹の訪問計画もあるとか。日本政府の毅然とした対応を、切に望む。 |