*** 2012年4月19日 茨城県桜川市の山桜 ***
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4月18日(水)朝、偶々NHKにチャンネルを合わせたところ、桜川市岩瀬地区の見事な山桜を放映している。何でも、山全体を山桜が覆い、西の吉野にも匹敵する規模だとか。永年この季節が訪れるたびに、吉野の山桜を写真に収めたくなるが、比較的近場にこれに匹敵する場所があるとは、何ともラッキーである。そこで、この付近に詳しい大山さんに、メールで問い合わせたところ、吉野に匹敵するか否かは兎も角、急遽翌19日(木)に一緒に写真撮影に出かけることになる。所で、ある庭師の方が、テレビのインタビューで「"ソメイヨシノ"は皆同じで、面白くない。」と仰っていたが、正に同感である。また、葉より花が先に開く"ソメイヨシノ"より、赤芽と白花が同時に出る"山桜"の方が余程自然で、森の緑とも旨くマッチしている。何れにしても、大山さんの絶大な御協力により、永年の夢が実現することになる。 7:40、ナビをセットし、落ち合い場所の笠間PAに向かう。距離にして約140㎞、首都圏の高速道路の渋滞を考慮すると、約3時間半というところか。だが、途中で渋滞に巻き込まれることも殆どなく、僅か約2時間半で現地に到着する。早速大山さんに連絡すると、今家を出たばかりとか。そこで、軽く蕎麦でも食べて時間をつぶそうと思ったが、PA内にはうどんしかやっていない。関西生まれの私としては、醤油味のうどんなど、食えた代物ではないので、チラシ等を見て近隣の情報収集をする。そうこうする内に、大山さんが到着する。見れば、周辺のガイドブック他、多くの資料を携えている。流石に用意周到且つ親切な大山さんである。相談の結果、一先ず私の車を磯部桜川公園に駐車し、大山さんの車で、"池亀"の里を目指すことになる。田園地帯を抜け山道に入ると、車一台がやっと通れる道幅になったため、高峰(標高520m)の登山口に駐車し、ここから徒歩で"池亀"に向かう。道端の野花を撮りつつ20分程下ると、谷間から"池亀"と思しき集落が垣間見える。更に下ると、古いお堂が現れるが、石段は左右に傾斜しており、東日本大震災の影響が見受けられる。傍の看板には、「平将門の乱"に際し、藤原秀郷が将門討伐を祈願して霊像五体を安置した。云々」とあり、当時のままとすれば、国宝級の文化遺産であろう。堂内を覗くと、真黒な仏像一体が確認出来るが、残り四体は何処に消えたのであろうか。ただ、道を急ぐので、これ以上は詮索しないことにする。そうこうするうちに、"池亀"の民家が現れる。家の庭先には、艶やかな芝桜が満開で、長閑な雰囲気を醸し出している。緩やかな坂道を下って行くと、加波山(かばさん)が眼前に迫るが、残念ながら、その山麓には山桜は殆ど見られない。そこで引き返そうと振り返ると、高峰の山麓に、見事な山桜が雲海のように広がっている。正に、灯台もと暗しというところか。420㎜に交換すると、真っ白な山桜に交じって、ピンクの花や赤芽も確認できる。一方吉野の山桜は、八世紀の平城京遷都以来、永年に渡って植樹され、約37ha(約6km×6km)の狭い範囲内に、合わせて約四万本が密生しているとか。それに対し、桜川市のそれは自生であり、広大な周辺の山々に旨く溶け込んでいる。やはり、人工的な美より自然が何よりである。ここから元来た道を戻り、車で磯部桜川公園に向かっていると、長閑な田園地帯が現れる。道標には"平沢"とあり、背後の山には見事な山桜が確認できる。どうやら、先程の"池亀"が高峰の東端とすると、ここはその西端に当たるようである。ここで暫し撮影に熱中したあと、磯部桜川公園を目指す。この公園内の桜も、殆どが純白の山桜であるが、中には園芸種と思しき、ピンクの"関山"(かんざん)や白色の"枝垂れ山桜"も見受けられる。 公園を通り抜け大通りに出ると、正面に桜川磯部稲村神社が現れる。社内には、多くの山桜が見られ、内11種が天然記念物に指定されているとか。鳥居の傍には、何と"紀貫之"の歌の石碑まであり、そこには「つねよりも 春べになればさくら川 波の花こそ まなくよすらめ」と彫られている。この中の"桜川"はこの地を指し、平安の昔から、東国の桜の名所として、西国にも知れ渡っていたとか。所で、大山さんは"紀貫之"自身が、実際にこの地を訪れたと仰っているが、私にはどう考えても無理に思える。なぜなら、"紀貫之"はれっきとした平安朝の役人であり、嘗ての蝦夷地を訪問する役目も余裕も無かった筈である。現に京を離れたのは、土佐の国司として赴任した5年間であり、帰京の際の55日間の出来事を纏めたのが、かの有名な"土佐日記"である。私自身も、高知工科大在職時に、二十九番札所"国分寺"近くにある"紀貫之旧邸宅跡"を何度か訪問したことがあるが、彼が当時この地を生活の拠点としていたのは、先ず間違いなかろう。私も、まさか北関東で、"紀貫之"伝説を耳にするとは思ってもみなかったが、近世の人間がこの歌の中に"桜川"を見つけ、町興しのために、彼の名を引用したのが実体ではなかろうか。少々横道に逸れたが、祭殿前で記帳していたところ、宮司の方が近寄ってこられ、何と無料でお祓いをして下さる。これが、数時間後に思わぬ幸運をもたらすことになる。 神社を出ると、道端の桜並木から真っ白な桜吹雪が舞い落ちてくる。改めて、花をチェックしたところ、やはり山桜である。ここで桜の撮影に夢中になっていると、自転車で帰宅中の中学生から、「こんにちわ」と声を掛けられる。実に爽やかであり、こちらも撮影を中断して、挨拶を返す。大山さんも、中学生の見知らぬ人に対する配慮に甚く感心している。所で、昨日も東急日吉駅で、某有名私大生が「肩が当たった」と因縁をつけ、相手に全治5日の怪我を負わす事件があったばかりであるが、犯人は更に「政治家を知っている」,「金を払えばいいだろ」等と凄み、警察の調べにも応じなかったため、逮捕されたとか。ちっぽけなエリート意識丸出しで、見知らぬ相手に対して、ヤクザまがいの態度にでる学生など、即刻除籍にすべきである。亡き福沢諭吉翁も、私と同感ではなかろうか。山桜を撮り終え、ふと回りを見渡すと、艶やかな芝桜が目に留まる。近づくと、花も大きく密生しており、家人の花に対する細やかな愛情を窺い知ることが出来る。ここから遥か東方に望めるのは、雨巻山(あままきさん)であろうか。この山にも、多くの山桜が点在している。このように、岩瀬地区には、吉野とは比べ物にならない位、広域に渡って山桜が分布しており、世界に誇るべき自然遺産であると言える。ここから、駐車場に戻り掛けたところ、神社の駐車場前で、濃いピンクの山桜が風に揺れている。祭事に訪れたと思しき人々も、名前が気になるとみえて噂し合っているが、誰も花の名を特定できない。私自身も、何処かで見かけたような気もするが、中々名前が思い浮かばない。だが、撮影後の写真を改めて眺めている内に、何と室蘭でよく見かけた"エゾヤマザクラ"と気付く。道理で、この地域の人々には、馴染みがない訳である。 何れにしても、北関東の地で、嘗ての赴任先である高知の文化や室蘭の自然に接するのも、何かの不思議な巡り合わせであろう。満ち足りた気分で、駐車場へと急ぐ。 今回は山桜の絶景を求めて、急遽大山さんと共に桜川市岩瀬地区を訪問した。美しい自然だけでなく、若人の温かい人柄にも接し、心が洗われる思いであった。機会があれば、近くの笠間町の歴史も探訪してみたい。 総歩数:8386歩 |