*** 2013年5月26日 兵庫県加西市歴史探訪2 ***
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5月26(日)、義兄の三回忌法要の前に、北条町中心部の神社仏閣を探訪する。北条町は亡父の故郷でもあり、幼少期、何度も訪れた思い出多き場所である。先ず名刹"酒見寺"であるが、埴岡真弓著"はりま歴史見て歩き"には、「酒見寺は、この地を訪れた"行基"が、酒見明神の神託を受け受け、聖武天皇に奏上して開いたという。聖武天皇の勅願寺として、朝廷から厚く信仰された。江戸時代には、朱印地を賜り、"護摩堂"に歴代天皇と歴代将軍の位牌を祀っている。・・・」と記されている。その隣の"住吉神社"に関しては、Wikipediaには、「黒駒村で創建され、養老元年(717年)に現在地に遷し奉られた。大阪の住吉大社らに伝わる「住吉大社神代記」(天平3年(731年))に記された住吉大神の宮九箇処の一社である。古くは酒見大明神と呼ばれており、明治時代に県社に列格された際に現在の神社名に改められた。・・・」とある。また、4月の第一土曜/日曜(旧暦の雛祭り時期)に、壮大にして優美な節句祭りが行われることでも有名である。つまり、酒見寺/住吉神社とも、奈良時代の創建で、以来畿内の信仰の拠点の一つとして、機能/繁栄してきたことを意味している。ただ、本年の節句祭りは既に終了しており、本日は静かに心をこめて、神仏にお祈りできそうである。 07:45、朝食を済ませ、昨日の大日堂交差点に向かう。ここを左折し、旧丹波街道に入ると、嘗て並んでいた店が歯抜け状態になっており、やや寂れた感がある。寺町通りを南下し、旧但馬街道に入ると、急に門前町風の佇まいに変わる。暫くこの街道沿いに進むと、"酒見寺"の楼門が現れる。その右側には、"新西国二十九番霊場(地方三紙読者の人気投票により選定)"の看板が掛けられており、人気のスポットであることが分かる。楼門を潜り、本堂に向かって参道を進むと、右手に重文"多宝塔"が望める。近づくと、上部の屋根が桧皮葺き、下部が瓦葺きと、実にユニークな構造になっている。また、台輪や四手先組物には、極彩色模様が描かれており、隅木の少し奥まったところに、風鐸(ふうたく)も掛けられている。建築様式の多様性、豪奢な模様からして、正に重文に相応しいと言える。その東側にある"鐘楼"にも、やや簡略化されてはいるものの、同様の模様が見られ、"法華山一乗寺"のそれとは一線を画している。一方、"鐘楼"越しには、まるで武家屋敷のような"酒見寺本坊"が望める。実に風格があり、本来の本坊(僧坊)とは随分異なる雰囲気である。そこで、本堂に参拝する前に、先ず本坊を探索する。豪壮な構えの門を潜ると、丹精込めた庭が広がり、その西隅には"護摩堂"が見られる。ここには、前述の通り、歴代天皇と歴代将軍の位牌が祀られており、朝廷/幕府双方から、熱い庇護を受けていたのが分かる。従って、公家/藩主等の要人が訪れる機会も多々あったと考えると、このような豪壮な作りも合点が行く。"シャクナゲ"他の花々を撮影して、本坊を離れる。本堂前に着くと、大香炉に三つ葉葵紋が刻まれており、実際に徳川家の庇護下にあったことが判る。 08:20、隣の"住吉神社"に向かう。幼少期は、特に気にも停めなかったが、五十数年ぶりに眺めると、実に風格のある社殿である。手前の小池には、"スイレン"や"キショウブ"が花咲いている。この石橋の上に立つと、昨年死去した叔母の若かりし頃の写真が目に浮かぶ。過去の思い出は残るが、生きとし生けるもの全てが"無常"ということであろうか。神社の鳥居を潜ると、拝殿前の"勅使塚"(小高い丘)で、何かが蠢いている。近づくと、何と"縞蛇"である。どうやら、季節外れの猛暑に吃驚して、涼みに出てきたのであろう。この神社の御神体ではないが、父の故郷で、巳年に本物の蛇に出会えるのも、何かのご縁であろうか。ひょっとすると、近日中に、何らかの御利益に与かるかもしれない。拝殿に近づくと、龍や鳳凰の見事な彫刻や絵馬も確認でき、社殿に勝るとも劣らぬ威厳が感じられる。帰り際、ふと見上げると、注連縄(しめなわ)が、何故か大蛇のように見えてくる。ここから、近くの羅漢寺を目指す。 09:00、羅漢寺に到着する。昨年の一周忌の際も訪れたが、何故か心休まる空間である。Wikipediaによれば、古来、「親が見たけりゃ北条の西の五百羅漢の堂に御座れ」と詠われてきたとあるが、順に見ていくと、少なからず小柄な童顔の羅漢像も見られる。これは、幼くして命を落とした子供の供養のため、親が羅漢像を刻み、奉納したものではなかろうか。一方、素朴な羅漢像以外に、来迎二十五菩薩像のような本格的な石仏も見かけられる。つまり、仏師から庶民に至るまで、多くの人々が製作に携わったのであろう。そう言えば、BS朝日"文化遺産の旅「兵庫県・加西市」"でも、古法華寺自然公園の石刻アトリエ館にて、市民が石仏を彫るシーンが紹介されていたが、この文化を伝承する活動も、地道に行われているようである。ここから一度ホテルに戻ってから、三回忌法要に向かう。 今回は、義兄の法事の合間に、二日に渡って加西市の名所旧跡を探訪した。昨日は、不思議な出会いが少なからずあったが、本日は巳年に相応しく、縞蛇様との御対面となった。最後に、義兄を始め、父、叔母の御冥福をお祈りしたい。 |