*** 2013年5月26日 兵庫県加西市歴史探訪2 ***

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1.大日堂 2.旧丹波街道
の町並
3.旧但馬街道
の町並
4.酒見寺楼門1 5.酒見寺楼門2 6.大草鞋 7.酒見寺参道 8.多宝塔1 9.多宝塔2 10.多宝塔3
11.多宝塔4 12.多宝塔5 13.極彩色の
四手先組物1
14.極彩色の
四手先組物2
15.極彩色の
四手先組物3
16.隅木の風鐸 17.鐘楼1 18.鐘楼2 19.鐘楼3 20.鐘楼4
21.酒見寺本坊 22.本坊総門 23.本坊寺務所 24.本坊庭園1 25.本坊庭園2 26.鐘楼5 27.本坊庭園3 28.シャクナゲ1
(本坊)
29.シャクナゲ2
(本坊)
30.紫の花
(本坊)
31.酒見寺本堂 32.酒見寺境内の
風景1
33.酒見寺境内の
風景2
34.酒見寺境内の
風景3
35.住吉神社社殿1 36.住吉神社社殿2 37.スイレン1 38.スイレン2 39.キショウブ1 40.キショウブ2
41.住吉神社拝殿1
と縞蛇1
42.縞蛇2 43.縞蛇3 44.住吉神社
拝殿2
45.住吉神社
拝殿3
46.拝殿の龍の
彫刻
47.拝殿の鳳凰の
彫刻
48.拝殿の絵馬 49.入口の鳥居 50.酒見寺境内の
風景4
51.百羅寺入口 52.羅漢寺庭園1 53.ヤマボウシ 54.羅漢像群1 55.羅漢像1 56.羅漢像2 57.羅漢像3 58.羅漢像4 59.羅漢像群2 60.羅漢像5
61.来迎二十五菩薩 62.羅漢像5 63.羅漢像7 64.羅漢像8 65.羅漢像9 66.羅漢像群3 67.羅漢像10 68.羅漢像11 69.羅漢像群4 70.羅漢像12

 5月26(日)、義兄の三回忌法要の前に、北条町中心部の神社仏閣を探訪する。北条町は亡父の故郷でもあり、幼少期、何度も訪れた思い出多き場所である。先ず名刹"酒見寺"であるが、埴岡真弓著"はりま歴史見て歩き"には、「酒見寺は、この地を訪れた"行基"が、酒見明神の神託を受け受け、聖武天皇に奏上して開いたという。聖武天皇の勅願寺として、朝廷から厚く信仰された。江戸時代には、朱印地を賜り、"護摩堂"に歴代天皇と歴代将軍の位牌を祀っている。・・・」と記されている。その隣の"住吉神社"に関しては、Wikipediaには、「黒駒村で創建され、養老元年(717年)に現在地に遷し奉られた。大阪の住吉大社らに伝わる「住吉大社神代記」(天平3年(731年))に記された住吉大神の宮九箇処の一社である。古くは酒見大明神と呼ばれており、明治時代に県社に列格された際に現在の神社名に改められた。・・・」とある。また、4月の第一土曜/日曜(旧暦の雛祭り時期)に、壮大にして優美な節句祭りが行われることでも有名である。つまり、酒見寺/住吉神社とも、奈良時代の創建で、以来畿内の信仰の拠点の一つとして、機能/繁栄してきたことを意味している。ただ、本年の節句祭りは既に終了しており、本日は静かに心をこめて、神仏にお祈りできそうである。
 07:45、朝食を済ませ、昨日の大日堂交差点に向かう。ここを左折し、旧丹波街道に入ると、嘗て並んでいた店が歯抜け状態になっており、やや寂れた感がある。寺町通りを南下し、旧但馬街道に入ると、急に門前町風の佇まいに変わる。暫くこの街道沿いに進むと、"酒見寺"の楼門が現れる。その右側には、"新西国二十九番霊場(地方三紙読者の人気投票により選定)"の看板が掛けられており、人気のスポットであることが分かる。楼門を潜り、本堂に向かって参道を進むと、右手に重文"多宝塔"が望める。近づくと、上部の屋根が桧皮葺き、下部が瓦葺きと、実にユニークな構造になっている。また、台輪や四手先組物には、極彩色模様が描かれており、隅木の少し奥まったところに、風鐸(ふうたく)も掛けられている。建築様式の多様性、豪奢な模様からして、正に重文に相応しいと言える。その東側にある"鐘楼"にも、やや簡略化されてはいるものの、同様の模様が見られ、"法華山一乗寺"のそれとは一線を画している。一方、"鐘楼"越しには、まるで武家屋敷のような"酒見寺本坊"が望める。実に風格があり、本来の本坊(僧坊)とは随分異なる雰囲気である。そこで、本堂に参拝する前に、先ず本坊を探索する。豪壮な構えの門を潜ると、丹精込めた庭が広がり、その西隅には"護摩堂"が見られる。ここには、前述の通り、歴代天皇と歴代将軍の位牌が祀られており、朝廷/幕府双方から、熱い庇護を受けていたのが分かる。従って、公家/藩主等の要人が訪れる機会も多々あったと考えると、このような豪壮な作りも合点が行く。"シャクナゲ"他の花々を撮影して、本坊を離れる。本堂前に着くと、大香炉に三つ葉葵紋が刻まれており、実際に徳川家の庇護下にあったことが判る。
 08:20、隣の"住吉神社"に向かう。幼少期は、特に気にも停めなかったが、五十数年ぶりに眺めると、実に風格のある社殿である。手前の小池には、"スイレン"や"キショウブ"が花咲いている。この石橋の上に立つと、昨年死去した叔母の若かりし頃の写真が目に浮かぶ。過去の思い出は残るが、生きとし生けるもの全てが"無常"ということであろうか。神社の鳥居を潜ると、拝殿前の"勅使塚"(小高い丘)で、何かが蠢いている。近づくと、何と"縞蛇"である。どうやら、季節外れの猛暑に吃驚して、涼みに出てきたのであろう。この神社の御神体ではないが、父の故郷で、巳年に本物の蛇に出会えるのも、何かのご縁であろうか。ひょっとすると、近日中に、何らかの御利益に与かるかもしれない。拝殿に近づくと、龍や鳳凰の見事な彫刻や絵馬も確認でき、社殿に勝るとも劣らぬ威厳が感じられる。帰り際、ふと見上げると、注連縄(しめなわ)が、何故か大蛇のように見えてくる。ここから、近くの羅漢寺を目指す。
 09:00、羅漢寺に到着する。昨年の一周忌の際も訪れたが、何故か心休まる空間である。Wikipediaによれば、古来、「親が見たけりゃ北条の西の五百羅漢の堂に御座れ」と詠われてきたとあるが、順に見ていくと、少なからず小柄な童顔の羅漢像も見られる。これは、幼くして命を落とした子供の供養のため、親が羅漢像を刻み、奉納したものではなかろうか。一方、素朴な羅漢像以外に、来迎二十五菩薩像のような本格的な石仏も見かけられる。つまり、仏師から庶民に至るまで、多くの人々が製作に携わったのであろう。そう言えば、BS朝日"文化遺産の旅「兵庫県・加西市」"でも、古法華寺自然公園の石刻アトリエ館にて、市民が石仏を彫るシーンが紹介されていたが、この文化を伝承する活動も、地道に行われているようである。ここから一度ホテルに戻ってから、三回忌法要に向かう。
 今回は、義兄の法事の合間に、二日に渡って加西市の名所旧跡を探訪した。昨日は、不思議な出会いが少なからずあったが、本日は巳年に相応しく、縞蛇様との御対面となった。最後に、義兄を始め、父、叔母の御冥福をお祈りしたい。 

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