*** 2014年4月25日 東鎌倉の春と衣張山ハイキングコース ***
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4月25日(金)、港南台での診察が早めに終わったので、東鎌倉の"報国寺"まで足を延ばすことにする。当寺の訪問はこれで三度目だが、新緑が眩しい時期は今回が初めてである。また、この地は北鎌倉に比べて交通が不便なせいか、訪れる観光客も少なく、撮影に熱中できるメリットもある。従って、この目の覚めるような若葉を何処までリアルに再現できるか、楽しみである。また、天気予報によると、一日晴天が続くようなので、"衣張山(標高121m)"から、富士山の絶景も期待できそうである。 10:25、"報国寺"に到着する。幸いにも、駐車場に空きスペースが有ったので、ここに駐車し早速山門に向かうと、6~7人もの女性客が列をなしている。後方には、優雅な和服姿の組もあり、緑の苔庭園と旨くマッチしている。所で、改めてこの苔を眺めてみると、新緑のモミジ以上に艶やかな色彩であり、まるで"ヒカリゴケ"のように輝いて見える。奥に進むと、五輪塔が並ぶ場所にも艶やかな苔が見られ、正に東の"西芳寺"とも言うべき光景である。次に、入口で拝観券を購入するため並んでいると、先程の女性陣は、全員抹茶付(+500円)を選んでいる。先程から、禅寺に女性が多いのに、何となく違和感を抱いていたが、どうやら彼女達のお目当ては、参拝や座禅ではなく、竹林の散策と抹茶の嗜みにあるようである。さしずめ、"山ガール"ならぬ"寺ガール"という所であろうが、最近の各地への女性の進出ぶりは、凄まじいものがある。ただ、幸運にも、石庭側には"カメラ女子"の姿は見られなかったので、長椅子にレンズを並べて、順次撮影することにする。最後に、超望遠420mm(300㎜望遠×1.4倍エクステンダー)で"アナベル(アメリカアジサイ)"を狙っていたところ、男性の方が近寄ってこられ、「ズームレンズですか?」と聞かれたので、「いや単焦点です。ズームは周辺光量が落ち、ぼけも綺麗でないので、単焦点を使っています。」と返答する。ただ、このカメラに興味津々の御様子だったので、こちらからカメラを提供すると、喜んでファインダーを覗き込んでおられる。「あのツツジが、画面全体に入りますね。」と、どうやら私の説明とは無関係に、その迫力に感激されている模様である。そうこうするうちに、11時近くになったので、そろそろ報国寺をお暇することにする。帰り際、山門に向かって石段を下っていると、更に大規模な苔の群落が目に留まる。ふと、元日産のFさんが目に浮かぶ。嘗て彼から、御自宅の庭で苔を育成されている話を伺った際は、変わった趣味にしか思えなかったが、今回の発見で、その奥深さの一端が、何となく分かったような気がする。何れにしても、デジカメでこの艶やかさを何処まで再現できるか、楽しみである。ここから、"田楽辻子の道"を通って、"衣張山"を目指す。 11:35、薄暗い杉林を抜けると、急に視界が開け、"衣張山山頂"に到達する。前述の通り、富士が望める絶景ポイントだけあって、既に3人の女性が見晴らし台を占拠している。早速その脇から西の空を眺めると、富士山一帯は雲間に隠れたままで、姿を見せる気配は全く感じられない。仕方が無いので、江の島を撮影してお茶を濁すことにしたが、何となく消化不良の感は否めない。そうこうする内に、初老の男性が現れたので、"名越切通し"について質問したところ、ここから僅か15分程度と仰る。一寸怪訝に思ったが、このあと撮影に向かうことにする。所で、衣張山直下には、"鎌倉石"の石切場跡があり、一寸道草して洞窟を探検することにする。ただ、入口には"石切場跡"とあるのみで、放棄された時期の記載はない。中に入ると、洞窟は10畳程度の広さで、急に冷気が体全体を包む。Wikipediaによると、「鎌倉石は、神奈川県鎌倉市藤沢市周辺に分布する凝灰質砂岩。比較的柔らかく加工が容易だが、そのために磨耗しやすい。現在は採掘されていない。」とある。してみると、海底に堆積した火山灰と砂が結合し、それが隆起して東鎌倉の地盤が構成されたことになり、表土が薄いことから、掘ればすぐに"鎌倉石"に突き当る分けである。この傾向は、北鎌倉の"天園ハイキングコース"でも同一であり、鎌倉全体が、嘗ては海底にあったことを表わしている。話が少々脇道に逸れたが、一旦衣張山山頂まで戻り、改めて"名越切通し"を目指すことにする。 12:35、"衣張山ハイキングコース"を45分程南下すると、やっと"名越切通し"の最深部(第一切通し)に到着する。写真を撮りつつであったが、別にゆっくり歩いた訳でもないのに、先程の男性の予想の3倍もかかったことになる。それは兎も角、遠路遥々来た甲斐あって、中々迫力満点の遺跡である。特に、東岩壁の高さは10m程度もあり、この上から礫で攻撃されたら、ひとたまりもないことが実感できる。また、立て看板には、現在の道の60cm下に江戸時代の道が存在し、地震等の崩落によって、徐々にかさ上げされたとある。一方、西岩壁の裏側には階段が付けられており、それを伝って頂上まで行くと、遥か南方まで見渡せ、難攻不落な要塞であったことも窺い知ることができる。ただ、この先は"朝比奈ハイキングコース"になるので、ここから"巡礼古道ハイキングコース"を通って、"報国寺"に戻る。 |