*** 2017年10月31日 谷川岳山麓の秋 ***
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10月31日(火)/11月1日(水)の両日、何時もの大山さんと共に北関東の名峰・谷川岳(標高1973m)/至仏山(標高2228.1m)に挑戦する。初日は、足慣らしとして、谷川岳山麓を巡り(谷川岳ロープウエイ・土合口駅~マチガ沢~一ノ倉沢~幽ノ沢~芝倉沢)の散策に留め、翌日尾瀬の名峰・至仏山に再挑戦する計画である。ただ、直近の台風22号襲来に伴い、2000m級の山々には深雪が予想されるので、その際は、無理をせず途中で撤退することにする。 10:20、若干の行き違いはあったが、無事大山さんと土合口駅売店で合流し、ここから旧道を通って谷川岳山麓を巡ることにする。土合口駅前の生垣では、"ドウダンツツジ"が真っ赤に色付いている。何とも艶やかな色合いであり、この光景を永年愛用の一眼デジカメ(CANON EOS5D mark2)とコンデジ(CANON PowerShot SX620hs)で撮影し、帰宅後PC上で比較してみると、階調/彩度共、明らかに前者が上回っているのが実感できる。何故なら、CMOSの画素数は両方共約2000万と大差ないが、その有効面積は夫々35㎜フィルムフルサイズ(864mm2)と1/2.3インチ(29.14㎜2)と、コンデジが一眼デジカメの約1/30の面積にすぎない。つまり、小面積に強引に映像素子を埋め込んだことになり、SN比が大幅に低下する結果、階調/コントラスト/彩度共に明かな差が出たことになる。だが、画質の悪化度合は、その面積比程でなく、画像ソフトで、ある程度補正も可能なレベルである。一方、重量に関しては、前者は交換レンズを含めると約9㎏、後者は僅か182gと、重量比で約1/50となる。従って、私のように体力のない中高年にとっては、特に登山時に重宝しそうなカメラと言えそうである。余談はさておき、旧道をマチガ沢に向かって行くと、3年前の同時期(2014年10月30日参照)に比べて、何となく黄葉が目立つように思える。つまり、紅葉の最盛期は過ぎたようだが、それでも、観光客が、三々五々、黄葉狩りを楽しんでいる。 11:03、"マユミ"が咲く木の先に、雄大な"白毛門(標高1720m)"が姿を現す。コンデジの25倍ズーム(35㎜カメラ625㎜相当)で撮影すると、雪を頂いた山頂の巨石が眼前に迫る。一眼デジカメの場合、このクラスの超望遠レンズでは、三脚を使用しない撮影は考えられないが、得られた画像はブレも目立たずすっきりしている。これがコンデジ最大の威力というところか。更に紅葉を撮りつつ数分歩くと、急に視界が開け、雄大なマチガ沢が姿を現す。本来なら、No.23の写真中央に、谷川岳双耳峰の一つ"トマノ耳"が見える筈だが、山頂付近は厚い雲に覆われ、姿を見せない。代わりに、右手の"シンセン岩峰"が存在感を増している。全景を撮り終え、"厳剛新道"から"大滝"を目指したところ、緩やかな山道を数分程登ったところで、その先が滝のようになっており、沢登りの準備がなければ、これ以上進むのは危険である。台風22号がもたらした豪雨の影響と考えられるが、ここから引き返し、"一ノ倉沢"を目指すことにする。落葉に覆われた旧道を進むと、両側の急斜面に多くのブナが林立し、黄金色に輝いている。木の間からは"白毛門"が望め、斜度60度以上もありそうな急斜面が、緑と茶に色分けられている。"一ノ倉沢"手前の曲がり角まで来ると、遥か彼方に鋭利な岩峰群が姿を現す。昭文社の地図でチェックした限りでは、どうやら"堅炭岩"のようである。 12:02、角を曲がると、"一ノ倉沢"が眼前に迫る。別の表現をすると、思わず駆け寄りたくなる圧倒的迫力と言うところか。中央の"一ノ倉沢滝沢右稜"の下部には雪渓が見られ、その下に大穴が開いているように見える。だが、25倍ズームで撮影した画像を確認してみると、手前の岩であることが分かる。また、"一ノ倉沢出会"の広場には、"一ノ倉沢概念図"の立て看板があり、撮影画像から岩壁の名前を特定する際に便利である。裏の看板には、"谷川岳の地質と地形"について記されており、その一部を原文のまま紹介すると、『皆さんが立っている場所の標高は約890mで、一ノ倉沢最上部の標高は約1900mあり、標高差約1000mの断崖となっています。この地域は古い時代には陸地でしたが、その後沈降を始め海になっていきました。海の時代は600万年ほど続きましたが、次第に地盤の隆起と激しい侵蝕作用を繰り返しながら、谷川岳を中心とする初期の山脈が誕生したと思われます。その後、地下に"石英閃緑岩"のマグマが生まれ、マグマは硬い岩石より軽いためゆっくり上昇し、上にあった花崗岩(6,500万年前)や、またその上にあった"蛇紋岩"の層を持ち上げました。このため、"石英閃緑岩"が一番下になっているのです。この重なり方が谷川岳の誕生の経過を物語っています。標高1400m付近より低い所に灰色っぽく見られるのが"石英閃緑岩"で、逆に1400m付近より高いところに黒っぽく見える岩が"蛇紋岩"です。この"蛇紋岩"は、土壌になりにくく、ニッケルや鉄、マグネシウムに富み植物の成長を阻害するため、ほとんどの植物が入ってこられませんが、この岩場でしか見られないめずらしい植物もあります。・・・』とある。つまり、谷川岳蛇紋岩地帯にみられる珍しい植物の代表が、"エーデルワイス"の仲間である"ホソバヒナウスユキソウ"ということになろう。一方、"エーデルワイス"はオーストリアの国花であり、オーストリアアルプスのCaを含む隆起石灰岩地帯に多く見られる。また、CaとMgは周期律表でも近いので、"石灰岩"や"蛇紋岩"のアルカリ土に生育する植物も、自ずと似てくるのであろう。更に、"エーデルワイス"は、嘗て中国青海省の"日月山(標高約3500m:2003年7月27日参照)"でも見かけたので、この地もオーストリアアルプス同様、嘗て海底にあったことを表しているようである。ふと我に返ると、"一ノ倉沢出会"の右側巨石の上に、真っ赤な"ドウダンツツジ"が確認できる。その下には、多くの銘板が貼り付けられており、この岩壁で遭難死した方々の鎮魂プレートということになろう。ここから更に"幽ノ沢"を目指す。乗り合いバスは、"一ノ倉沢出会"までで、その先の旧道は非舗装となっている。ただ、観光客が減ったせいで、却って黄葉狩りを静かに楽しむことができる。ふと来た道を振り返ると、一瞬雲間から日が射し、急に雑木林が立体感を増したように見える。 12:40、"幽ノ沢"に到着する。先程の荒々しい"一ノ倉沢"と違って、"水墨画"の世界を彷彿させる。即ち、手前のドーム上の植物群と、屏風のような大岩壁のコントラストが、何とも見事である。ここで、少し遅い昼食を取る。その後、宿のチェックインには未だ余裕があったので、大山さんのお勧めで、"芝倉沢"を目指すことにする。この先から急に道幅が狭くなり、絶壁に抉らてた旧道を用心して進む。更に緩やかな葛篭織の旧道を登っていくと、崩落した旧道の先に"芝倉沢"が現れる。近付いてみると、沢の手前の道が崩落しており、これ以上進まない方が賢明のようである。改めて"芝倉沢"を眺めてみると、先程行けなかった"マチガ沢大滝(2014年10月30日参照)"に匹敵する規模であり、ここまで来た甲斐があったと言える。ふと、湯檜曽川を挟んだ東側の山々を眺めると、その中腹に白い地層らしきものが確認できる。何とも気になる存在であり、改めて考察してみると、これが石灰岩であれば海底に堆積する関係で、オーストリアの"ローザ山(2002年7月13日参照)"同様、山上に現れる筈である。よって、この地層は、"一ノ倉沢"の立て看板にあった"石英閃緑岩"が、露出したものではなかろうか。何れにしても、これから地学を勉強し直し、的確な判断を下せるように努力したい。ここから元来た道を、土合口駅へと戻る。 今回は、至仏山登山の足慣らしとして、先ず谷川岳山麓周辺を散策した。やや歩き過ぎた感はあったが、迫力満点の大自然に出会え、谷川岳の秋を十二分に堪能することが出来た。明日は、愈々至仏山再挑戦である。 ★活動量計データ(上り階段数:400,早歩き歩数:5,955,総歩数:24,851,歩行距離:19.6km,活動カロリー:1,367kcal,一日総消費カロリー:3,096kcal,脂肪燃焼量:66.0g) |