*** 2005年12月26日 鎌倉 ***
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1.円覚寺総門 | 2.円覚寺居士林 | 3.マンリョウ1 | 4.マンリョウ2 | 5.観音像1 (大方丈) |
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6.観音像2 (大方丈) |
7.舎利殿前から | 8.仏日庵 | 9.ナンテン(黄梅院) | 10.赤色センリョウ (黄梅院) |
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11.黄色センリョウ (黄梅院) |
12.ミツマタ(黄梅院) | 13.椛1 (円覚寺墓院) |
14.椛2 (円覚寺墓院) |
15.東慶寺墓院1 |
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16.東慶寺墓院2 | 17.東慶寺墓院3 | 18.イチョウ (東慶寺) |
19.和辻哲郎墓所 (東慶寺) |
20.西田幾多郎墓所 (東慶寺) |
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21.紫式部(東慶寺) | 22.十月桜(東慶寺) | 23.鶴岡八幡宮1 | 24.鶴岡八幡宮2 | 25.鶴岡八幡宮3 |
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26.三の鳥居前 | 27.江ノ島 (稲村ガ崎) |
28.夕暮れ (稲村ガ崎) |
29.夕日(七里ガ浜) | 30.日没(七里ガ浜) |
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31.富士1(七里ガ浜) | 32.富士2(七里ガ浜) |
12月26(月)、新デジカメ(CANON EOS5D:1280万画素35mmフルサイズCMOSセンサー付)試写のため、鎌倉/江ノ島方面に出かける。先ず最初に円覚寺を訪問する。平日のため境内の観光客はまばらで、落ち着いて撮影に熱中できそうである。フルサイズCMOSセンサーのお陰で、総門前の石碑まで収めることができる。長年愛用のレンズ(CANON FE28-135mm F3.5-5.6 IS USM)で、広域から中域までカバーできるのは有難い。シャッター音もなかなかどっしりしており、高級感がある。ただ、JPEGラージファインモードで約8Mもメモリーを消費するため、2Gクラスの記録媒体(CF)でも、どんどん撮影可能枚数が減ってゆく。 続いて大方丈では石盤の観音像を撮影する。以前のEOS10Dでは、コントラストの弱い被写体では、のっぺりとした画像になり補正が必要だったが、今回は原画のままでもそこそこ鮮明である。またHP掲載用に、サイズダウンしても質感は保たれている。このあたりは、随分改善されたようである。 次に、円覚寺の一番奥にある黄梅院を訪問する。ナンテンやセンリョウの実が実に美しい。またミツマタの花も中々趣がある。ここから弁天堂を経て、出口に向かっていると、散り残った紅葉が目に留まる。さまざまな色が混じっているが、旨く分離できている。 円覚寺を出て数分の東慶寺を訪問する。この寺は、嘗て男子禁制の尼寺であり、縁切り寺として名を馳せ、あまたの女人を救済したとのことである。現在は男僧のみであるが、文人の墓所としても有名である。入口で、西田幾多郎/和辻哲郎(2人の関係は2004年8月16日HP参照)の墓位置を確認したあと、花を撮影しつつ墓院へと進む。鬱蒼とした木々の間に、雛壇状に墓が並んでいる。 最初に西田幾多郎の墓所を探していると、上品な母娘連れが目に留る。このような所に墓があるとは、さぞかし由緒正しき方々なのであろう。近くで墓石名をチェックしていると、和辻哲郎の墓が先ず目に留る。ひっそりした木立の中にあって、簡素な形をしており周りに溶け込んでいる。 一方京都学派の祖で、彼の恩師とも言うべき西田幾多郎の墓は、その斜め上にあり五輪塔様式である。また、京都学派の一員であった谷川徹三(後に法政大総長)の墓もその近くにあり、彼等の親交の深さが伺える。更に、西田幾多郎と同郷の鈴木大拙(仏教哲学者)の墓もあり、生前西田幾多郎を通じて、様々な交流があったようである。変わった所では、東京オリンピック女子バレー大松博文監督の墓もある。墓石には、バレーボールと共に"根性"という文字がある。 境内を巡り、最後に十月桜の写真を撮っていたところ、先程の母娘から声をかけられる。ミツマタの花を指して、"きれいな花ですね、何と言う花ですか"とおっしゃる。花の名とその由来を説明して、お別れする。 夕日を撮影するため、ここから鶴岡八幡宮,由比ガ浜を経て江ノ島に向かう。 |