*** 2012年12月5日 東鎌倉の秋と衣張山 ***

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1.報国寺山門 2.境内の参道 3.石段の紅葉1 4.石段の紅葉2 5.本堂前の黄葉1 6.本堂前の黄葉2 7.本堂前の黄葉3 8.本堂前の黄葉4
9.本堂前の紅葉1 10.本堂前の紅葉2 11.本堂前の紅葉3 12.本堂前の紅葉4 13.本堂前の紅葉5 14.本堂前の紅葉6 15.本堂前の紅葉7 16.本堂前の紅葉8
17.本堂前の紅葉9 18.本堂前の紅葉10 19.本堂前の紅葉11 20.本堂前の紅葉12 21.報国寺本堂1 22.報国寺本堂2 23.報国寺鐘楼 24.センリョウ
25.イチョウの黄葉1 26.イチョウの黄葉2 27.イチョウの黄葉3 28.イチョウの黄葉4 29.イチョウの黄葉5 30.紅葉と黄葉 31.報国寺中庭 32.マンリョウ
33.報国寺庭園1 34.報国寺庭園2 35.報国寺庭園
の紅葉1
36.報国寺庭園
の紅葉2
37.報国寺庭園
のキク
38.報国寺庭園
の紅葉3
39.報国寺庭園
の紅葉4
40.報国寺庭園
の紅葉5
41.休耕庵の紅葉1 42.休耕庵の紅葉2 43.休耕庵の紅葉3 44.休耕庵の紅葉4 45.休耕庵の紅葉5 46.休耕庵の紅葉6 47.休耕庵の紅葉7 48.休耕庵の紅葉8
49.リンドウ1 50.リンドウ2 51.浄妙寺山門 52.浄妙寺本堂 53.足利貞氏の墓所 54.浄妙寺庭園 55.浄妙寺の紅葉1 56.浄妙寺の紅葉2
57.浄妙寺の紅葉3 58.浄妙寺の紅葉4 59.ツツザキ
ノコンギク1
60.ツツザキ
ノコンギク2
61.ノコンギク 62.イチョウの黄葉6 63.浄妙寺の紅葉5 64.浄妙寺の紅葉6
65.衣張山への道1 66.衣張山への道2 67.道祖神 68.富士山1
(衣張山山頂)
69.富士山2
(衣張山山頂)
70.富士山3
(衣張山山頂)
71.丹沢連山
(衣張山山頂)
72.丹沢の峰々
(衣張山山頂)
73.箱根金時山
(衣張山山頂)
74.箱根連山
(衣張山山頂)
75.稲村ケ崎
(衣張山山頂)
76.江の島
(衣張山山頂)
77.滑川の紅葉1 78.滑川の紅葉2 79.滑川の紅葉3 80.滑川の紅葉4

 12月5日(水)、爽やかな秋晴れの朝を迎えたため、東鎌倉の秋を求めて、臨済宗建長寺派の古刹"報国寺"に向かう。当寺は、9月12日に訪問したばかりだが、季節が移り、今が丁度紅葉の見頃を迎えている。また、直ぐ近くには、"浄妙寺"もあり、この寺を初めて訪問するのも楽しみである。更に、晴天がこのまま続けば、鎌倉からの富士の雄姿を求めて、"衣張山(標高121m)"にも、初挑戦する予定である。
 9:30、自宅横浜を後にする。ラッシュアワーを過ぎているため、途中の原宿交差点も渋滞することなく、約30分で"報国寺"に到着する。運良く、山門前の駐車場に空きスペースがあったので、ここ駐車し、本堂への石段を登って行くと、色付き始めたもみじが顔を出す。ここを登りつめ、改めてもみじ全体を見渡すと、黄緑から赤まで実に千差万別であるのに対し、西側の大銀杏は黄色一色である。WEB情報によると、紅葉したもみじは、光合成により蓄積した澱粉が、赤色色素"アントシアン"に変化したものであり、黄葉した銀杏は、葉緑体"クロロフィル"の消失に伴ない、本来あった黄色色素"カルチノイド"が浮き出たものとか。してみると、もみじの多彩な色合いは、葉に残留した"クロロフィル(Green)"と、新たなに生成された"アントシアン(Red)"の比率によって決定されることになる。もし仮に、青色の色素"アントシアニン(Blue)"が加われば、秋ともなれば、何千万色ものもみじが見られることになるのだが、何故かこの色素は、茄子,ブルーベリー,ムラサキイモ等、ごく一部の植物にしか存在しえないようである。では、なぜ"アントシアミン"を含む植物が少ないかであるが、これは"植物学"の範疇に入るので、この辺で留め置く。こんな余計なことを考えつつ写真を撮っているうちに、瞬く間に20分が経過したので、拝観料200円を納めて、奥の庭園へと向かう。本来なら、当寺の名所である竹林から巡るべきであるが、この景観は前回十分堪能したので、今回は庭園の紅葉を優先することにする。手入れの行き届いた園内には、今が盛りのもみじが点在し、丸く刈り込まれた緑の植木と、好対照をなしている。鎌倉石の断崖からは、黄色く色付いた大木の枝が、覆いかぶさるように垂れ下がり、一帯が壮大な庭園と化している。実際に、20mm超広角で狙ってみても、全貌を捉えきれないほどの広さである。ここから、竹林を巡って戻ろうとしたところ、茶席"休耕庵"の奥に、真っ赤なもみじが垣間見られる。近づくと、本堂前のもみじと異なり、真紅一色である。正に、筆舌に尽くし難い、何とも艶やかな色合いである。ふと、北杜夫の"白きたおやかな峰"の一節が思い浮かぶ。そこでは、カラコルムの名峰(2010年3月30日HP参照)を目の前にして、登山隊に同行した"ドクター柴崎(北杜夫本人)"の口から、以下のように語らせている。即ち、「"俺には書けない"と、思った。
あの雪と岩の織りなす微妙な陰影、あの複雑な隆起と陥没、あの肌理(きめ)こまかな優雅さと峻厳な重量感、自然が太古から一鑿(ひとのみ)々々彫り刻んできたこの荘厳な記念碑を、一体どう表わしたら良いのか。・・・・」とある。私の文章など、勿論北杜夫の足下にも及ばないが、絶景が突然目の前に現れたとき、それを言葉で表わす難しさは共感できる。ただ私の場合、文章の未熟さを補ってくれるのが、感激の一瞬を撮らえた写真である。できれば、まだ体力/気力があるうちにカラコルムを再訪し、"ディラン","ラカポシ","ウルタル"の雄姿を、気合いをこめて、切り取りたいものである。ふと我に返ると、既に11時前である。そろそろ"報国寺"を御暇し、次の目的地"浄妙寺"に向かうことにする。
 11:00、"浄妙寺"の総門前に到着する。ここで受け取った略記によれば、創建は1188年、当初は密教系(真言宗)の寺院であったが、その後禅宗に改宗されたとか。また、当寺は足利尊氏の父貞氏の墓所があることでも有名とか。そこで、本堂での参拝も程々に、境内の案内に従って貞氏の墓所へと急ぐ。雛段状に並んだ墓苑の下部には、数十体の五輪塔に囲まれた宝篋印塔(ほうきょういんとう)が見られる。まるで、数十人の家臣団に囲まれた大将のようでもあり、仏塔にも風格が感じられる。そこから、一旦本堂まで戻り、その脇の坂道を登って行くと、洋館風のレストラン"石窯ガーデンテラス"が現れる。名前の通り、石窯で焼いたパンが売物のようであるが、屋外の売店には、数種類のパンしか置いていない。しかも、フランスパン風の小形パンが何と600円もする。直接比較はできないが、ざっと言って、近くの"ビゴの店"の二倍以上というところか。序に、レストランも覗いてみたが、ランチメニューが何と3000円弱と、"セレブ"向けの価格設定になっている。今風に言えば、"コスパ"が極端に悪いと言うことであり、帰路"ビゴの店鎌倉店(モン・ペシェ・ミニョン)"にて、美味なパンを購入することにする。ここから一度報国寺まで戻り、前回諦めた"衣張山"を目指す。
 11:30、報国寺前から、"田楽辻子(でんがくずし)のみち"を通って、"衣張山"に向かう。聞きなれない名前だが、WEB情報によると、"田楽師の小路"と言う意味とか。また、鎌倉時代には、実際に田楽師がこの辺りに住んでおり、彼等がこの道を往来したことに由来するとか。この小路を7分程進むと舗装路が途切れ、山道が始まる。なだらかな坂道を10分程登ると、一組の道祖神が現れる。実に愛らしい姿に、思わずシャッターを切ったが、この髪形からすると、近世より以前に製作されたものではなかろうか。この辺りから、やや傾斜がきつくなるが、我慢して登り続けると分岐点が現れる。そこを右に折れ、山腹を巻く様に進むと、衣張山山頂に辿り着く。藪の切れ間の先には、やや霞の掛った富士山が悠然と聳えている。超望遠で覗くと、山頂右上に笠雲が掛っており、この分だと、これから天候が悪化するのであろうか。ここで、レンズを交換しつつ、富士/丹沢他を順次撮影したのち、山頂を後にする。 

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