*** 2012年12月5日 東鎌倉の秋と衣張山 ***
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12月5日(水)、爽やかな秋晴れの朝を迎えたため、東鎌倉の秋を求めて、臨済宗建長寺派の古刹"報国寺"に向かう。当寺は、9月12日に訪問したばかりだが、季節が移り、今が丁度紅葉の見頃を迎えている。また、直ぐ近くには、"浄妙寺"もあり、この寺を初めて訪問するのも楽しみである。更に、晴天がこのまま続けば、鎌倉からの富士の雄姿を求めて、"衣張山(標高121m)"にも、初挑戦する予定である。 9:30、自宅横浜を後にする。ラッシュアワーを過ぎているため、途中の原宿交差点も渋滞することなく、約30分で"報国寺"に到着する。運良く、山門前の駐車場に空きスペースがあったので、ここ駐車し、本堂への石段を登って行くと、色付き始めたもみじが顔を出す。ここを登りつめ、改めてもみじ全体を見渡すと、黄緑から赤まで実に千差万別であるのに対し、西側の大銀杏は黄色一色である。WEB情報によると、紅葉したもみじは、光合成により蓄積した澱粉が、赤色色素"アントシアン"に変化したものであり、黄葉した銀杏は、葉緑体"クロロフィル"の消失に伴ない、本来あった黄色色素"カルチノイド"が浮き出たものとか。してみると、もみじの多彩な色合いは、葉に残留した"クロロフィル(Green)"と、新たなに生成された"アントシアン(Red)"の比率によって決定されることになる。もし仮に、青色の色素"アントシアニン(Blue)"が加われば、秋ともなれば、何千万色ものもみじが見られることになるのだが、何故かこの色素は、茄子,ブルーベリー,ムラサキイモ等、ごく一部の植物にしか存在しえないようである。では、なぜ"アントシアミン"を含む植物が少ないかであるが、これは"植物学"の範疇に入るので、この辺で留め置く。こんな余計なことを考えつつ写真を撮っているうちに、瞬く間に20分が経過したので、拝観料200円を納めて、奥の庭園へと向かう。本来なら、当寺の名所である竹林から巡るべきであるが、この景観は前回十分堪能したので、今回は庭園の紅葉を優先することにする。手入れの行き届いた園内には、今が盛りのもみじが点在し、丸く刈り込まれた緑の植木と、好対照をなしている。鎌倉石の断崖からは、黄色く色付いた大木の枝が、覆いかぶさるように垂れ下がり、一帯が壮大な庭園と化している。実際に、20mm超広角で狙ってみても、全貌を捉えきれないほどの広さである。ここから、竹林を巡って戻ろうとしたところ、茶席"休耕庵"の奥に、真っ赤なもみじが垣間見られる。近づくと、本堂前のもみじと異なり、真紅一色である。正に、筆舌に尽くし難い、何とも艶やかな色合いである。ふと、北杜夫の"白きたおやかな峰"の一節が思い浮かぶ。そこでは、カラコルムの名峰(2010年3月30日HP参照)を目の前にして、登山隊に同行した"ドクター柴崎(北杜夫本人)"の口から、以下のように語らせている。即ち、「"俺には書けない"と、思った。 あの雪と岩の織りなす微妙な陰影、あの複雑な隆起と陥没、あの肌理(きめ)こまかな優雅さと峻厳な重量感、自然が太古から一鑿(ひとのみ)々々彫り刻んできたこの荘厳な記念碑を、一体どう表わしたら良いのか。・・・・」とある。私の文章など、勿論北杜夫の足下にも及ばないが、絶景が突然目の前に現れたとき、それを言葉で表わす難しさは共感できる。ただ私の場合、文章の未熟さを補ってくれるのが、感激の一瞬を撮らえた写真である。できれば、まだ体力/気力があるうちにカラコルムを再訪し、"ディラン","ラカポシ","ウルタル"の雄姿を、気合いをこめて、切り取りたいものである。ふと我に返ると、既に11時前である。そろそろ"報国寺"を御暇し、次の目的地"浄妙寺"に向かうことにする。 11:00、"浄妙寺"の総門前に到着する。ここで受け取った略記によれば、創建は1188年、当初は密教系(真言宗)の寺院であったが、その後禅宗に改宗されたとか。また、当寺は足利尊氏の父貞氏の墓所があることでも有名とか。そこで、本堂での参拝も程々に、境内の案内に従って貞氏の墓所へと急ぐ。雛段状に並んだ墓苑の下部には、数十体の五輪塔に囲まれた宝篋印塔(ほうきょういんとう)が見られる。まるで、数十人の家臣団に囲まれた大将のようでもあり、仏塔にも風格が感じられる。そこから、一旦本堂まで戻り、その脇の坂道を登って行くと、洋館風のレストラン"石窯ガーデンテラス"が現れる。名前の通り、石窯で焼いたパンが売物のようであるが、屋外の売店には、数種類のパンしか置いていない。しかも、フランスパン風の小形パンが何と600円もする。直接比較はできないが、ざっと言って、近くの"ビゴの店"の二倍以上というところか。序に、レストランも覗いてみたが、ランチメニューが何と3000円弱と、"セレブ"向けの価格設定になっている。今風に言えば、"コスパ"が極端に悪いと言うことであり、帰路"ビゴの店鎌倉店(モン・ペシェ・ミニョン)"にて、美味なパンを購入することにする。ここから一度報国寺まで戻り、前回諦めた"衣張山"を目指す。 11:30、報国寺前から、"田楽辻子(でんがくずし)のみち"を通って、"衣張山"に向かう。聞きなれない名前だが、WEB情報によると、"田楽師の小路"と言う意味とか。また、鎌倉時代には、実際に田楽師がこの辺りに住んでおり、彼等がこの道を往来したことに由来するとか。この小路を7分程進むと舗装路が途切れ、山道が始まる。なだらかな坂道を10分程登ると、一組の道祖神が現れる。実に愛らしい姿に、思わずシャッターを切ったが、この髪形からすると、近世より以前に製作されたものではなかろうか。この辺りから、やや傾斜がきつくなるが、我慢して登り続けると分岐点が現れる。そこを右に折れ、山腹を巻く様に進むと、衣張山山頂に辿り着く。藪の切れ間の先には、やや霞の掛った富士山が悠然と聳えている。超望遠で覗くと、山頂右上に笠雲が掛っており、この分だと、これから天候が悪化するのであろうか。ここで、レンズを交換しつつ、富士/丹沢他を順次撮影したのち、山頂を後にする。 |