*** 2013年5月25日 兵庫県加西市歴史探訪1 ***
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5月25(土)、義兄の三回忌に参列するため、空路で羽田から伊丹に向かう。本来なら神戸空港の方が便利だが、減便の影響を受けて、この行程となった訳である。伊丹空港からは、先ず市バスで阪急伊丹駅に行き、以降は電車等を乗り継いで、最終目的地の加西市北条町駅を目指すことにする。ただ、今回は"法華口(ほっけぐち)駅"にて途中下車して、西国第二十六番札所の名刹"法華山一乗寺"にも、参拝する計画である。改めて、ネット上で、自宅横浜からの乗り換え回数/所要時間を検索してみると、11回(実際は12回)/約8時間となり、一寸した冒険旅行である。これなら、乗り換え分だけでも、相当内臓脂肪を燃焼できそうである。 11:07、定刻よりやや遅れて、ANA021便は63番ゲートを離れる。20分程で、シートベルト着用サインが消えると、ここからデジカメ等電子機器の使用が可能となる。暫くすると、世界遺産に内定した"富士山"が姿を現す。飛行に伴い千変万化する姿も中々趣があり、正に世界遺産に相応しいと言える。ただ、私自身は登頂経験は無く、何度か五合目付近を散策(2010年8月24日参照)した程度であるが、人の多さに閉口した覚えがある。これを契機に、入山規制とトイレ整備に力を入れるべきであろう。余計なことを考えているうちに、同機は伊勢湾上空を通過し、定刻に伊丹空港に滑り込む。ここからが、何度も乗り継ぐ冒険旅行が始まる訳である。 先ずSuicaであるが、最初の市バスは使えなかったものの、阪急伊丹駅の改札では、無事通過できたため、以降これを使わずに新開地駅に向かう。この間、塚口駅,西宮北口駅,高速神戸駅で乗り換えたので、自宅横浜から指折り数えて計8回と相成る。新開地駅では、神戸電鉄急行に乗車し、一路"粟生(あお)駅"を目指す。思えば、この電車に乗るのは50数年ぶりだが、以前と同じレトロな雰囲気(別称ボロ電)を保っている。鈴蘭台駅を過ぎると、単線になり、ここから長閑な田園地帯をのんびりと走ることになる。有名な"広野ゴルフ場"前駅の次の"志染(しじみ)駅"で、多くの乗客が降りたため、車内は急にひっそりする。どうやら、この辺りが、神戸への通勤圏の限界と言うところか。 15:00、粟生駅に到着する。所が、Suicaは使えず、ゲートが閉じてしまう。考えてみれば当たり前で、関東中心のSuicaは、関西大手の阪急までは使えるが、準大手の神戸高速や神戸電鉄までは対応できていないようである。そこで、駅員の方に通過切符を発行して頂き、北条線のプラットホームへと急ぐ。陸橋中央に立つと、線路の右手に懐かしき"たき山(通称)"が望める。私自身は、この山麓の"阿形町(あがたちょう)"で、小学5年の1学期までを過ごしたが、8名の同級生の内、現在この地に残るのは僅か1名である。神戸電鉄が、高速化された暁には、この辺りも神戸への通勤圏になると思われるが、費用対効果を考えると先ず無理であろう。一方、"YAHOO地図"で、"たき山"の写真をチェックしてみると、最高点が標高154.1mと特定できる。また、その南斜面には、当時なかった大規模な崩落箇所が確認できる。便利な世の中になったものだが、願わくば、南斜面の崩落が、これ以上進行しないことを祈るばかりである。余計な心配をしている間に、北条線の出発時間が迫ってきたので、急いで車両に乗り込む。 15:19、法華口駅で下車し、ここからタクシーで"法華山一乗寺"に向かう。幼少期、父に連れられて、何度か訪れた思い出多き寺院である。入口で頂いた"拝観のしおり"によると、当寺は飛鳥時代の西暦650年に、インドからの高僧・法道により創建され、当時の孝徳天皇が同山に行幸された際に、"一乗寺"の勅額を賜ったとある。即ち、同時代の法隆寺にも匹敵する名刹で、現在も西国三十三か所第二十六番札所に指定されている。ただ、タクシーの運転手さんによると、当寺を訪れるお遍路さんは、普段着姿の団体さんが多く、"商売上がったり"とか。私自身も、高知工科大在職時、教員宿舎が大日寺(二十八番札所)と国分寺(二十九番札所)の中間点にあった関係で、多くのお遍路さんを見かけたが、白装束姿が殆どだったと記憶している。従って本日は、正装のお遍路さんとの一期一会もなさそうである。 所が、このあと、驚愕の出会いが待っていることになる。前置きが長くなったが、入口で拝観料400円を払い、172段の石段を登り始める。この右脇には、目の覚めるような新緑の椛が、彩りを添えている。秋には、さぞかし見事な紅葉に変貌するであろう。石段を何とか登りきると、当寺のシンボルとも言うべき三重塔が眼下に望める。平安末期の建立とのことであるが、深山幽谷に溶け込んだ姿は、実に存在感があり、国宝に相応しいと言える。奥の院へは、土砂災害のため行けなかったので引き返し、金堂に向かう。堂内には大広間があり、御本尊の重文・聖観世音菩薩を隔てて、二本の大提灯が掛っている。その左側面には左三つ巴紋が描かれており、我が家紋と同一なのも何かのご縁であろか。この提灯を撮影していると、天井に木片のようなものが付着しているのが目に留まる。何とも気になる存在であったが、その後お会いした水田さんから、木製の納札と教えて頂く。改めて画像を拡大してみると、木札が花弁状に留められているのが確認できる。ここから、境内の風景を撮影しつつ、石段を下る。 16:10、法華口駅に戻り、列車を待つ間に、駅周辺の写真を撮っていたところ、何と先程見かけなかった正装のお遍路さんがベンチに腰掛けている。早速、写真を撮らせて頂こうと近寄ったところ、二度吃驚、何と青い目の方である。そこで、咄嗟に、"Which country did you come from?"と訊いたところ、たどたどしい日本語で、"オ・ラ・ン・ダ"と返事があったので、以降英語でコミュニケーションを取る。聞けば、"一乗寺"以外に、"清水寺"も巡ってこられたとか。私も、"清水寺"と聞いて、その時は怪訝に思ったが、あとで加東市の"清水寺"(二十五番札所)と判明する。更に、琵琶湖竹生島の"宝源寺"(三十番札所)にも参拝されたとか。 竹生島と謂えば、琵琶湖周航歌の四番に、「瑠璃の花園珊瑚の宮 古い伝えの"竹生島" 仏の御手にいだかれて・・・」と詠われている。この歌は、加藤登紀子が約40年前にヒットさせて、世に知られることになったが、本来は大正時代に京大ボート部員が作詞した関係で、以降京大関係者に愛唱されてきた訳である。私も、学生時代から親しんできたが、特にこの四番が哀愁があって好きである。カラオケでこの曲を歌う度に、竹生島を訪問したくなるが、今回は外国の方に先を越された格好である。そう言えば、亡き義兄の愛唱歌でもあったことを思い出す。これも、何かの不思議なご縁であろうか。最後に、"Can I take a picture of you?" と尋ねたところ、"Sure!"という答えが返ってくる。ただ惜しむらくは、名前を聞き忘れたことであるが、また何時か何処かで、お会いするような気がしてならない。となれば、一期二会ということになるのであろうか。英語に意約すると、"Treasure every encounter, for it may recur."というところか。 16:34、終点北条町駅に到着する。この列車が、今度は粟生駅に向かうのであるが、珍しく多くの客が乗り込んで来る。駅の外では、業務用ビデオカメラをセットした御一行が、今や遅しと、列車の出発を待ち構えている。何かのイベントであろうが、先を急ぐ関係で、早々にこの場を離れる。所が、このあと不思議なご縁で、その実態が明らかになる。18:10、ホテルで小休止したあと、姉の自宅に向かう。この際、少し回り道をして、旧街道を散策することにする。その契機となったのが、約1年半前に、BS朝日"文化遺産の旅「兵庫県・加西市」"で、この街道沿いの嘗ての豪商屋敷が紹介されるのを、偶然見たことである。駅の通りを北に5分程歩むと、旧街道の大日堂交差点にぶつかる。ここを右折し、横尾街道を東に向かうと数分で白壁の豪邸が現れる。こちらが現在もお住まいの水田邸であろう。道路を挟んだ向かい側には、更に古風な高井邸があるが、家は閉じられたままである。ただ、その壁面には"登録有形文化財登録証"他が貼り付けられており、往時の栄華を窺い知ることができる。これらの光景を撮影して立ち去ろうとしていたところ、背後から呼び止められる。見れば、この水田家の奥様のようである。そこで立話となったが、奥様はボランティアガイドをされており、先程北条町駅で見かけた観光客を案内して、戻られたばかりとか。つまり、ついさっきまで、NHKの「新兵庫史を歩く」の収録と、参加者のガイドに携ってこられた訳である。流石に饒舌な方で、話が尽きない。その内、御自宅の玄関の間で、御主人と共にお話しを聴かせて頂くことになる。他にもプライバシーに関することで、思いがけない一致があったが、紙面の関係で省略する。一言で言えば、不思議なご縁ということであろうか。機会が有れば、邸内の見事な建築物/庭園/蔵も、私のHP上で紹介させて頂きたものである。 義兄の法事の前日、加西市の名所旧跡の一部を探訪した。今回も、出会いとは単なる偶然でなく、必然の感を強くした。つまり、内外を問わず、お互いに共通する縁が、Synchronicity(偶然の出会い)を引き起こすのではなかろうか。改めて、お世話になった水田さん御夫妻とオランダのお遍路さんに、感謝申し上げたい。 |