*** 2015年9月20日 横浜戸塚の秋 ***

1.紅白のヒガンバナ1 2.ヒガンバナ1 3.シロバナ
ヒガンバナ1
4.紅白のヒガンバナ2 5.ヒガンバナ2 6.ヒガンバナ3 7.紅白のヒガンバナ3 8.シロバナ
ヒガンバナ2
9.シロバナ
ヒガンバナ3
10.シロバナ
ヒガンバナ4
11.くわくわ森1 12.くわくわ森2 13.クヌギのドングリ 14.コナラのドングリ 15.くわくわ森3 16.ツリガネニンジン 17.ヒガンバナと
稲穂1
18.ヒガンバナ4 19.ヒガンバナと
稲穂2
20.ヒガンバナと
稲穂3
21.ヒガンバナと
稲穂4
22.シラサギ1 23.シラサギ2 24.ヒガンバナと
稲穂5
25.ヒガンバナ5 26.ヒガンバナ6 27.ヒガンバナ7 28.ヒガンバナ8 29.ヒガンバナ9 30.ヒガンバナ10
31.ヒガンバナと
稲穂6
32.ヒガンバナと
稲穂7
33.ヒガンバナと
稲穂8
34.ヒガンバナと
稲穂9
35.ヒガンバナと蝶1 36.ヒガンバナと蝶2 37.ヒガンバナと蝶3 38.ヒガンバナと蝶4 39.ヒガンバナと蝶5 40.ヒガンバナと蝶6
41.ヒガンバナと蝶7 42.稲穂と蝶 43.ヒガンバナと蝶8 44.案山子
コンテスト1
45.ひまわりちゃん 46.オバQ 47.マリオ 48.フナッシー 49.魔法姫人形 50.案山子
コンテスト2

 9月20日(日)、丁度"ヒガンバナ"が見頃になったので、久々にカメラと交換レンズ一式を持って、撮影に出かける。本日はまたとない晴天であり、富士や丹沢の山並みをバックに、真っ赤な"ヒガンバナ"を狙う予定である。たが、待てど暮らせど富士は姿を見せず、午前中くっきりと見えていた丹沢までも、午後になると雲に覆われてしまう。仕方が無いので、本日は富士とのツーショット(?)は諦め、艶やかな"ヒガンバナ"を中心に撮影することにする。
 14:00、自宅から徒歩約20分で、"天王森泉公園"に到着する。この公園の北半分は、その名の通り、竹林の中に泉が湧きだしているが、南半分はクヌギ林となっており、夏場に"クワガタ"が多く集まることから、"くわくわ森"と呼ばれている。その入口手前には、昨年同様、紅白の"ヒガンバナ"が開花している。
植物に疎い私は、"シロバナヒガンバナ"は、"ホワイトライオン"の如く、色を失った突然変異種かと思っていたが、Aさんによると、何と、"ヒガンバナ"と"ショウキズイセン"の自然交配種とか。改めて画像を比較してみると、花弁の巾は、"ヒガンバナ"より、やや広いように見える。森の小径を行くと、"ハイイロチョキリ"が切り落とした小枝(2014年9月4日参照)から弾け出たドングリが、通路のあちこちに転がっている。ドングリ自体は丸形が殆どで、一部紡錘形も混じっていることから、主として"クヌギ"と"コナラ"からなる雑木林ということになろう。普段は通過するだけであるが、来夏には、孫を連れて、クワガタ採集に訪れたいものである。"ツクツクボウシ"が、命を振り絞るように鳴く中、雑木林を下っていくと、急に視界が開け、眼前に長閑な田園風景が広がる。正に秋酣、田圃では首を垂れた稲穂が黄金色に輝き、その畦道には艶やかな"ヒガンバナ"が列をなしている。先ず、丹沢をバックに横一列に並んだ"ヒガンバナ"を撮影するため、畦道を奥に進むと、一羽のシラサギと鉢合わせする。多分、ドジョウか小魚を漁るためここまで飛んで来たのであろうが、カメラを構えたまま近づくと、さっと飛び去ってしまう。一枚の田圃にも、豊かな生命に溢れているのが実感できる。"ヒガンバナ"の大群落まで戻り、300㎜望遠で花々を狙っていたところ、タイミング良く"キアゲハ"が飛んできたので、順次花々を飛び回る姿を追うことにする。そうこうするうちに、もう一羽の"キアゲハ"が近寄ってきて、もといた"キアゲハ"を追い掛け始める。私も、2羽が乱舞する姿を望遠で追ったものの、動きが早過ぎてオートフォーカスが追従せず、全てピンボケ状態であり、これらの画像からは雌雄の判別は不可能である。しかしながら、自然の摂理からすると、やはり追いかけていたのが、雄ではなかろうか。結局、私が撮影中は交尾には至らなかったが、その後、無事子孫を残せたことを祈るばかりである。
 最後に、案山子コンテストの会場に向かう。道端には10数体の案山子が並んでおり、その内の何体かを撮影している間にも、近くの民家から見事な笛の音が聞こえてくる。秋祭り備えての練習であろうか、所で、民俗学の祖・柳田國男の"年中行事覚書"には、「私は播州で生まれたが、カガシという言葉は書物によって始めて学んだ。山田のカガシという唄はまだ出来ておらず、土地ではただトリオドシといっていたのである。・・・・」とあり、カカシ(カガシ)という言葉が、広く一般に用いられるようになったのは、どうやら明治中期以降のようである。また、案山子自体も、時代と共に、鳥が嫌がる匂いを放つものから、人型の一本足,更にはアニメキャラクターへと様変わりしたようである。何れにせよ、ここ戸塚においても、良き伝統文化を、守り続けて欲しいものである。
なお、柳田國男は、私の郷里・兵庫県が生んだ傑物であり、機会があれば、生誕地にある記念館(兵庫県福崎町)や、彼が少年期を過ごした記念公苑(茨城県利根町)を訪問したい。ここから、境川沿いの遊歩道を通って、自宅に戻る。

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