*** 2015年9月30日 瑞泉寺の秋 ***
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1.シロバナハギ1 | 2.シロバナハギ2 | 3.シロバナハギ3 | 4.シロバナハギ4 | 5.シロバナハギ5 | 6.ハギ1 | 7.ハギ2 | 8.ハギ3 | 9.ハギ4 | 10.ハギ5 |
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11.シロバナ ヒガンバナ |
12.ヒガンバナ1 | 13.ヒガンバナ2 | 14.ヒガンバナ3 | 15.ヒガンバナ4 | 16.ヒガンバナ5 | 17.ヒガンバナ6 | 18.ヒガンバナ7 | 19.ヒガンバナ8 | 20.ヒガンバナ9 |
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21.ムクゲ1 | 22.ムクゲ2 | 23.ムクゲ3 | 24.ムクゲ4 | 25.ムクゲ5 | 26.ムクゲ6 | 27.タマアジサイ1 | 28.タマアジサイ2 | 29.参道の石段 | 30.参道の竹林1 |
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31.参道の竹林2 | 32.山門への石段 | 33.瑞泉寺山門1 | 34.瑞泉寺山門2 | 35.瑞泉寺境内庭園 | 36.本堂とフヨウ | 37.フヨウ1 | 38.フヨウ2 | 39.シュウメイギク | 40.千手観音 /釈迦牟尼仏 /夢窓国師像 |
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41.ムラサキ ツユクサ1 |
42.ムラサキ ツユクサ2 |
43.ムラサキ ツユクサ3 |
44.ミズヒキ1 | 45.ミズヒキ2 | 46.石庭1 | 47.石庭2 | 48.石庭3 | 49.フイリ カリガネソウ1 |
50.フイリ カリガネソウ2 |
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51.苔むした石段1 | 52.苔むした石段2 | 53.吉田松陰石碑 | 54.参道の竹林3 | 55.ヒガンバナ10 | 56.ヒガンバナ11 | 57.ヒガンバナ12 | 58.ヒガンバナ13 | 59.ヒガンバナ14 | 60.ヒガンバナ15 |
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61.シロバナハギ6 | 62.シロバナハギ7 | 63.シロバナハギ8 | 64.シロバナハギ9 | 65.シロバナハギ10 | 66.ハギ6 | 67.ハギ7 | 68.ハギ8 | 69.ハギ9 | 70.ハギ10 |
14:20、曲がりくねった路地裏を10分程走ると、瑞泉寺に到着する。駐車場は、がら空きの状態であったので、受付前に駐車し、拝観料200円を払って境内に入る。入口左手は、小庭園になっており、先ず紅白の"ハギ"の花が迎えてくれる。この花は、山上憶良を始めとする万葉歌人が、和歌の題材に多く取り上げ、古くから日本人に親しまれてきただけあって、実に趣のある色形をしている。散策路を奥に進むと、艶やかな"ヒガンバナ"が点在している。Wikipediaによると、中国からの帰化植物で、一個の球根から日本全土に広がったとか。その証拠に、日本に自生する"ヒガンバナ"の遺伝子は、全て同一とある。中国の"ヒガンバナ"の遺伝子との相関が、取れていればの話だと思うが、その点が記されていないのが、一寸気になる点である。散策路の両側には、色取り取りの"ムクゲ"が開花しており、八重咲も混じっている。こちらは、韓国で特に人気がある模様で、国花にも指定されている。何れにしても、日中韓の関係がぎくしゃくする昨今、この庭園の如く、共存共栄を図って欲しいものである。 緩やかな参道を進むと、道が二手に分かれ、右側の緩やかな坂道を登って行くと、見事な竹林が現れる。先程の"報国寺"の竹林に、負けずとも劣らぬ存在感である。山門を潜り本堂前まで来ると、真っ白な"フヨウ"の花が、参道の両側を覆っている。先程の"ムクゲ"と花形が似ているが、こちらの方が大振り且つ上品に見える。本堂に近づくと、障子の隙間から、三体の仏像が拝める。本殿脇の案内板から、一番右側が当寺の開祖・夢窓国師像と分かる。頭上半分が簾に隠れているが、中々聡明そうなお顔である。本堂裏に回ると、同国師作の"岩庭"の手前に、"ミズヒキ"の群落が見られる。一つ一つの花は、小さく且つ地味であるが、集まると、中々艶やかな色彩になるものである。"岩庭"を撮り終え、山門を出て石段を下って行くと、先程の分岐点が現れる。改めて、もう一方の石段を眺めて見ると、少し左に傾斜しているものの、表面は苔むし実に趣がある。ただ、杉本寺(2012年9月12日参照)の如く、鎌倉石の摩耗が進んで多くの凹凸があり、歩きにくそうである。ここを登りきり、そのまま進むと、吉田松陰の石碑前に至る。これには、何故か西洋風に、"松陰吉田先生留跡碑"と刻まれている。ネット情報によると、1854年に下田にて密航を企てる直前に、瑞泉寺25代住職の伯父・竹院和尚に、会いにきたのがその所以とか。また、徳富蘇峰の筆による石碑は、1929年に設置された模様である。所で、吉田松陰は、NHK大河ドラマ"花燃ゆ"では、急進的思想家としての迫力が、全く感じられなかったが、それが演出のせいなのか、それとも役者の力量によるものか、判断の分かれるところである。だが、彼の思想が、江戸後期以降の日本の行く末に、多大な影響を与えたのは事実であろう。ここから、再度小庭園の花々を望遠で撮影したのち、自宅に戻る。 |