*** 2016年11月8日 奥久慈男体山の秋 ***
写真や下の文字をマウスでクリックすると大きく表示します。
11月8日(火)10:35、"奥久慈男体山(以下男体山)"の大円地(おおえんじ)登山口に到着する。ここは人気の直登ルートの起点でもあり、駐車場は既に満杯である。ただ、我々の場合、ここは下りルートの終点となるので、路肩に私の車を駐車し、大山さんの車で一般ルートの登山口となる長福(ちょうふく)に向かう。途中の大円地の切れ間から、雄大な"男体山"の岸壁が垣間見えたので、路肩に駐車して、この雄姿を撮影することにする。畑の畦道を通り、茶畑に辿り着くと、その奥に"男体山"が姿を現す。この大絶壁に、へばりつくように生えている広葉樹が、色付き始めているのが確認できる。ただ、周辺には人っ子一人おらず、ひっそりしている。また、廃屋も目立ち、正に限界集落の様相を呈している。ふと斜面を見上げると、"うるしの森"なる立て看板が目に留まる。村興しの一環であろうが、遅きに失した感は否めない。ふと、藤沢周平の小説"漆の実のみのる国(上/下巻)"が思い浮かぶ。 この本は、米沢藩第九代藩主"上杉鷹山"の漆等の産業興業による藩政改革を描いたものだが、改革そのものより、お家騒動が中心であり、名君の誉れ高い鷹山にも、人事を巡る色々な葛藤があったことを窺い知ることができる。また、吉良上野介の嫡男"綱憲"が上杉家の養子に入り、4代目藩主"上杉綱憲"を務めたのも、何かの巡り合わせであろうか。余談ではあるが、藤沢周平が生まれ育った"庄内藩"では、譜代大名の酒井氏が代々藩主を務め、領民中心の藩政を敷いたため、今でも市民の尊敬を集めているとか。勿論姻戚関係はないが、名前が一致するのも、何かのご縁であろう。 10:56、長福(ちょうふく)にある一般コース登山口に到着する。この横の駐車場に大山さんの車を停め、ここから歩き始める。無人の男体神社まで一旦下り、愈々登山開始である。標高差にして380m程度であるので、所要時間約2時間というところか。10分程登ると、色付き始めた"ヤマモミジ"が見られるようになる。登山口から眺めた際は、紅葉が進んでいるようには見えなかったが、実際に山道を登って行くと、夫々に時間差が生じている。例えば、同じ"ゴマナ"と思しき草葉でも、既に紅葉が終わり枯れ落ちそうなものから、色付く前のものまで様々である。30分程登ると急に視界が開け、"長福山(標高496m)"が顔を出す。目線からも、まだこの山の高さまで、達していないのが実感できる。更に10分程登ると黄葉の先に、略水平の方向に"長福山"が望めるようになる。別途オリジナル画像を確認してみると、葉形から"イタヤカエデ(2013年11月5日参照)のようである。暫くすると、登山道わきに巨石が現れる。黒褐色の地肌に多くの灰白色の小石が混じっており、先程"滝川"で見かけた"礫岩"と同類ということになろう。ただ、周辺には川らしきものは見当たらないので、単純に考えれば、海底火山が活動していた時期に出来たと思われる。ただ、1500万年の間に海底が隆起し、風雨にさらされて谷が削られたのも事実であり、土石流が発生しても不思議ではない。この中に、貝殻でも混じっていれば、海底でできたことを証明できるのだが・・・。 11:53、黄葉の大木の前で小休止する。画面左手の大木の画像を拡大してみると、枯れた雄花が垂れ下がっているのが確認できるので、"イヌシデ"ということになろう。艶やかなモミジの紅葉も良いが、この黄葉も中々趣がある。月居山への分岐を過ぎると、ツツジ類の紅葉が目立つようになる。殆どは"ドウダンツツジ"だが、中には果実を垂らした"サラサドウダン"も見受けられる。更に登ると、"ヒメシャラ,ヤマツツジ,コミネカエデ,ウリハダカエデ"等、様々な紅葉が現れる。正に"紅葉のオンパレード"であり、やはりこのルートを選択して良かったと実感できる。これらの紅葉を順次撮りつつ山道を進むと、登り階段が現れる。この斜面には黄葉が多く見られ、中でも幅10㎝以上もありそうなハート形の大葉が、特に目立つ存在である。別途、樹木図鑑でチェックしたところ、どうやら"ダケカンバ"の仲間の"ウダイカンバ"のようである。一方、登山道脇一帯を枯れた笹が覆っており、殺伐としている。大山さんよると、数年前に登った際は、一面が笹の花に覆われていたとか。やはり、笹は数十年に一度開花したあと枯れると言われているのは、事実のようである。ここを登り切ると急に視界が開け、眼下に"長福の里"が現れる。その道端の駐車場には、大山さんの車も確認できる。ここから、一旦下って"あずまや"の横を抜け、山頂に向かう。 12:57、"男体権現"の祠があるピークに辿り着く。直ぐ先の"男体山"山頂は、団体が占領していたので、ここで小休止することにする。早速、祠の裏に回ってみると、その先は一気に300m以上も切れ落ちており、久々に足がむず痒くなるような不思議な感覚に襲われる。古くは、ザルツカンマ―グートの"シャーフベルク山(1996年6月12日~22日参照)"、比較的最近では、谷川岳の"マチガ沢(2013年11月6日)"で味わったものと同一である。何れにせよ、身の危険を察知した時に、脳が危険信号を発したということであろう。団体か記念撮影のため、大挙して押し寄せてきたので、入れ替わりに山頂に向かう。ここから、崖淵に立つ"男体権現"を眺めていると、荘厳な気分にさせられる。また、その真下の岸壁には、へばりつくように"ミズナラ"が生えている。オリジナル画像を拡大してみると、その生え際の岸壁は、先程中腹で見かけた巨石と同種のようである。してみると、先程の岩石は、山塊が風化して一部が崩落したものか、或いは地肌が露出したものの何れかと見るのが自然であろう。ここから、尾根道を"大円地越"まで迂回し、"大円地の里"まで下って行く。これが、うんざりする程長い道程であることを、その後思い知らされる。 15:05、"大円地山荘"に到着する。ここは、古民家を改造した手打ち蕎麦店で、大山さんのお馴染でもある。お通しも出てきて、サービスも行き届いており、注文した"天婦羅蕎麦"も、香り/腰とも中々のものであり、"月待の滝"の蕎麦店のそれより余程美味である。聞けば、二八蕎麦で、奥久慈産の蕎麦粉を使用とか。機会があれば、再度食してみたいものである。ここから、曲がりくねった"奥久慈パノラマスーパー林道"を通って帰路に就く。 今回は、何時もの大山さんと共に、二日間に渡って奥久慈の自然/文化を探訪した。天候にも恵まれ、奥久慈の秋を十二分に堪能することができた。機会があれば、直登ルートからも"男体山"に挑戦したい。 ★活動量計データ(上り階段数:410,早歩き歩数:2008,総歩数:11575,歩行距離:9.1km,活動カロリー:1281kcal,一日総消費カロリー:3000kcal,脂肪燃焼量:52.8g) |