*** 2019年2月21日 枝垂れ梅の常立寺と江の島 ***

1.常立寺参道 2.常立寺山門 3.六地蔵1 4.本堂1 5.枝垂れ紅梅1 6.枝垂れ紅梅2 7.枝垂れ白梅1
/紅梅3
8.枝垂れ紅梅4 9.枝垂れ白梅2 10.枝垂れ白梅3
11.枝垂れ紅梅5 12.枝垂れ紅梅6 13.枝垂れ紅梅7 14.紅梅1 15.紅梅2 16.紅梅3 17.紅梅4 18.紅梅5 19.紅梅6 20.紅梅7
21.紅梅8 22.紅梅9 23.紅梅10 24.六地蔵2 25.六地蔵3 26.六地蔵4 27.六地蔵5 28.枝垂れ白梅4 29.枝垂れ白梅5 30.枝垂れ白梅6
31.枝垂れ白梅7 32.枝垂れ白梅8 33.枝垂れ白梅9 34.枝垂れ白梅10 35.枝垂れ白梅11 36.枝垂れ紅梅8 37.枝垂れ紅梅9 38.元使塚1 39.元使塚2 40.元使塚3
41.枝垂れ白梅12 42.枝垂れ白梅13 43.枝垂れ白梅14 44.枝垂れ白梅15 45.枝垂れ白梅16 46.枝垂れ紅梅10 47.鐘楼1 48.鐘楼2 49.山門2 50.常立寺裏口
51.境川河口1
(北側)
52.境川河口2
(南側)
53.江の島弁天橋 54.光る相模湾 55.江の島
ヨットハーバー1
56.江の島
ヨットハーバー2
57.江の島
ヨットハーバー3
58.江の島
ヨットハーバー4
59.江の島
ヨットハーバー5
60.江の島
ヨットハーバー6
61.弁天仲見世通り1 62.弁天仲見世通り2 63.老舗旅館
恵比壽屋
64.老舗旅館
岩本楼
65.江島神社鳥居 66.瑞心門1 67.弁財天童子石像 68.瑞心門2 69.辺津宮1 70.辺津宮2
71.奉安殿1 72.奉安殿2 73.枝垂れ紅梅11 74.枝垂れ紅梅12 75.枝垂れ紅梅13 76.朱塗りの橋 77.腰越方面1 78.腰越方面2 79.丹沢方面1 80.丹沢方面2
81.岩屋1 82.岩屋2 83.岩屋3 84.伊豆大島1 85.三原山 86.河津桜1 87.河津桜2 88.河津桜3 89.河津桜4 90.河津桜5
91.河津桜6 92.河津桜7 93.河津桜8 94.河津桜9 95.河津桜10 96.河津桜11 97.河津桜12 98.河津桜13 99.河津桜14 100.河津桜15
101.河津桜16 102.河津桜17 103.河津桜18 104.河津桜19 105.江の島
ヨットハーバー7
106.江の島
ヨットハーバー8
107.弁天仲見世通り3 108.江ノ電
1000系1
109.江ノ電
1000系2
110.江ノ電
1000系3

 2月21日(木)、戸塚の里でも梅が見頃となったので、"枝垂れ梅"を撮影するため、略八年振りに湘南の"常立寺"に向かう。更に、久々に足を延ばして、"江の島"も一巡りすることにする。特に、"江の島ヨットハーバー"は、Aさんの御祖父に当たるA画伯(T大学元教授)ゆかりの地のひとつであり、私の部屋にも頂いた大作が掛ってあるので、一度描かれた場所を探訪してみたかった訳である。
 13:45、モノレール"湘南江の島駅"で下車し、国道467号線を北に向かう。数分で、"常立寺"に到着する筈が、中々行き着かない。仕方がないので、モノレールの線路に向かって歩いて行くと、別の寺院に行き当たり、そこを南下すると、やっと"常立寺"が姿を現す。どうやら、新道と旧道を間違えたようである。山門を潜ると、真紅の帽子と涎掛けを付けた六地蔵が迎えてくれる。早速、本堂南側にある"枝垂れ梅"に向かったところ、以前の"濃紅の枝垂れ梅(2011年2月26日参照)"が見当たらず、ピンクの小振りの梅が在るのみである。残念ながら、八年のご無沙汰の間に、"濃紅の枝垂れ梅"は枯れてしまったようである。それでも、本堂脇の艶やかな紅梅は健在で、正に満開を迎えている。八重咲であるので、園芸種の"ヒノツカサ"であろうか。一方、本堂に向かって左手には、"元使塚"があり、白鵬他モンゴル力士が毎年お参りすることでも知られている。地元紙のWEBには『最初の元寇である"文永の役"において、元の軍勢を退けた日本に対して、元はその翌年服従を求める国書を送ります。時の執権北条時宗は、その使者であった杜世忠ら5名を、龍ノ口刑場において処刑します。そして、その墓である五輪塔が常立寺に設置されました。現在の元使塚は1925年(大正15年)に建てられました。元使塚には、モンゴルでは英雄を意味する色である青色の布が巻かれています。・・・』とある。説明の通り、五輪塔には勇者を称える青色のスカーフが巻かれており、手前の香炉の上にも、立派な獅子の飾りもあり、荘厳な雰囲気が漂っている。その後、じっくり枝垂れ白梅や鐘楼を撮影して、当寺を離れる。
 14:23、境川河口に架かる橋を渡り、竜宮城のような"小田急江ノ島駅"に向かう。若かりし頃、自宅からこの河口まで、往復20㎞以上を歩いたことを思い出す。現在は精々その半分程度まで落ちたが、日頃ウォーキングに勤しんでいるせいか、風邪一つ引かないようである。一方、江戸時代の旅人は、東海道(日本橋⇔京都)を2週間程度で行き来したと言われており、距離にすると一日40㎞弱も歩いたことになる。その理由は、手足が同時に出る歩き方(ナンバ歩き)のせいと、某テレビ番組で説明していたのを思い出す。つまり、"ナンバ歩き"だと、体が捩じれず、関節や筋肉の負担が少ないせいで、粗食にも拘わらず、長距離を歩けたようである。余計な話になったが、片瀬江ノ島駅に到着すると、何とパワーショベルが唸り、駅舎は取り壊しの最中で、周辺は板塀で囲まれている。仕方がないので引き返し、江の島に向かうことにする。弁天橋を渡り切り、そこを左折して、A画伯ゆかりの地のひとつを目指す。だが、行けども行けどもヨットの姿は見えず、結局広大な"江の島ヨットハーバー"に行き着いてしまう。帆を下したヨットを左右に眺めつつ桟橋を進むと、その突端の先に防波堤が現れ、その入江から対岸のビル群が望める。だが、絵に描かれていた弁天橋はそこから見えず、大分東に来てしまったようである。でも、ヨットのある風景は、写真の被写体としても中々魅力的なので、これらを順次撮影したのち、引き返すことにする。
 15:02、仲見世通りまで戻り、この坂道を登って江島神社最大の"辺津宮"を目指す。平日にも拘らず、観光客や参拝客で混雑しており、話し言葉からすると、中国/東南アジア系が多いようである。参拝を終え、更に島内を左回りに一周することにする。途中の断崖の先には、昨年訪れた"伊豆大島(2018年5月19日参照)"が霞んで見える。これを40倍ズームで狙うと、何とヘリコプターが写っていたので、記念に掲載する。ブレのせいで少々見辛いが、ご容赦頂きたい。"中津宮"近くの公園まで来ると、丁度"河津桜"が満開を迎えている。実に艶やかな光景なので、一眼デジカメとポケデジ両方で、写真に収めることにする。東端まで来ると、眼下に"江の島ヨットハーバー"が望め、またご縁がありそうな気がしてくる。ここから階段を下り、モノレール"湘南江の島駅"に向かう。途中の、江ノ電"江ノ島駅"では、丁度往復電車がすれ違っており、用心して踏切を渡りつつ、強引にシャッターを切る。Aさんによると、人気の1000形車両とか。電車にも詳しい方である。何か得をしたような気分で、帰路につく。
 今回は、枝垂れ梅とA画伯所縁の風景を求めて、久々に江の島周辺を散策した。外国人観光客の多さと騒々しさに驚愕したものの、自分なりに撮影を堪能できた。来年の東京オリンピックを控え、"江の島ヨットハーバー"も今後益々活況を呈すると思われるので、機会を見付けて再訪したい。

★活動量計データ(上り階段数:480,早歩き歩数:9,283,総歩数:14,099,歩行距離:11.1km(本年累計:276.5km),活動カロリー:1,073kcal,一日総消費カロリー:2,811kcal,脂肪燃焼量:50.5g) 

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