*** 2018年5月19日 踊り子と大島躑躅の故郷・伊豆大島 ***
写真や下の文字をマウスでクリックすると大きく表示します。
5月19日(土)、満開の"オオシマツツジ"を求めて、何時もの大山さんと、”伊豆大島"を再訪する。切っ掛けは、偶々私がテレビで"3万本のオオシマツツジ満開映像"を見掛けたためだが、それ自体は2012年以来続く"桜川市の山桜"と似ている。そこで大山さんにメール連絡したところ、早速同意を得たので、参加可能なツアーをネット上で検索すると、東海汽船の”春の伊豆大島つつじ&波浮港満喫コース"がヒットする。ただ、私が乗船する久里浜港には、高速ジェット船は休日しか寄港しないので、仕方なく混雑が予想される土曜日出発と相成る。 07:50、自宅を後にし、車で久里浜港に向かう。09:30、ここで、東京竹芝桟橋から来たジェット船に乗り換え、一路伊豆大島を目指す。船内2階の指定席に着くと、東京竹芝桟橋から乗船した大山さんから声を掛けられる。偶然、席が近かったようであるが、満席で何れも通路側である。結局、船内から写真を撮ることもなく、僅か一時間で岡田港に到着する。ここで、観光バスに乗り換えたが、生憎此方も満席且つ通路側だったので、観光案内にも夢うつつで”三原山頂口"に到着する。 11:18、"山頂口”で下車し展望台に向かうと、雄大な裾野を広げている筈の"三原山"は、厚い雲に覆われたままである。だが、手前の灌木地帯に目を遣ると、ピンクの花が確認できる。つまり、今回の狙いの"オオシマツツジ"が、点在していることになる。そこで、坂を下って原野に下りて行くと、普段よく見かける"ヤマツツジ(2016年4月11日参照)"に似た花が咲いている。色自体は、それよりピンク掛って見えるが、ネット情報によると本島の固有種で、"ヤマツツジ"の変種とか。何れにせよ、"オオバヤシャブシ"が幅を利かす溶岩地帯に、健気に咲いている姿が愛おしい。ここからバスまで戻り、”3万本のオオシマツツジ"が咲く大島温泉ホテルつつじ園に向かう。 12:14、ホテル内での昼食を早めに終え、"3万本のオオシマツツジ"撮影に向かおうとしたところ、ロビー内であんこ姿の女性同士が、スマホで写真を撮り合いっこしている。やや御歳を召しておられるが中々の美形であり、特別にお願いして、お二人のあんこ姿を写真に収めさせて頂く。その後、同ホテル内の庭園に向かうと、満開の”オオシマツツジ"が我々を迎えてくれる。ただ、暫くして目が慣れてくると、やや盛りを過ぎており、数も3万本にはとても及ばす、精々300本程度であることが分かる。更に、ロビー前まで来ると、植木に詳しいと思しき方から、『これはひどい!碌にメンテナンスをやっていないから、ツツジが柘植の樹に負けてしまっている!』との声が聞こえてくる。成程、No.41の写真からも、向かって左側の生き生きした"オオシマツツジ”に比べて、右側のそれには柘植の樹が侵入し、枝の一部は枯れてしまっているのが確認できる。また"3万本"という誇大広告についても、私と意見が一致する。ここから山を下り、更に南下して"波浮港"に向かう。 13.32、波浮港手前でバスを降り、散策コースを下って行くと、紺碧の波浮港が垣間見える。更に狭い階段を降りて行くと、馬蹄形をした湾全体が望めるようになる。貰ったパンフレット他には、9世紀に噴火した”マール"とあり、ネット情報によると、『火口底が地下水面より低いと、火口の中には水たまりが生じる。』とある。ふと、ハワイの"ハナウマ湾(2006年12月2日~8日参照)が思い浮かんだが、こちらは火口底が地下水面より高く、"タフリング"と呼ばれるとか。ただ、"ハナウマ湾"自体は、約3万2千年前に噴火した当初は陸上にあったが、オアフ島全体が徐々に沈下した結果、火口壁の一部が浸食され、海水が入り込んだと考えられる。また、近くの"ダイヤモンドヘッド(2004年12月12日~18日参照)”は、未だに陸上にあるが、これも"タフリング"とのことである。 13:36、更に階段を下って行くと、"踊り子の里記念館(旧湊屋旅館)が現れる。中に入ると、各部屋に当時の帳場風景や宴会風景が、人形と共に再現されている。その中には、川端康成(以下康成)の小説"伊豆の踊子"の主人公”薫"と思しき姿も確認できる。所で、康成ゆかりの地に関しては、これまで"天城湯ヶ島(2003年8月20日,21日参照)", "鎌倉長谷の旧宅(2011年9月10日参照)"を訪問してきたが、踊り子(本名加藤たみ?)の故郷である波浮港を訪問するのは、今回が初めてである。またネット情報を総合すると、踊り子達は康成に会ったのが最後の旅となり、以降この地に腰を落ち着け、小料理屋を営んでいたようである。してみると、荒廃が目立つ路地裏辺りに住んでいたことになろうか。ふと、10年程前に訪問した京都伏見区の路地裏風景が目に浮かぶ。なお、康成自身が”伊豆の踊子"の映画化に際し、後日談を伝えているが、下田で分かれた踊り子一家にはその後会っておらず、その兄との文通が暫く続いただけとのことである。ここから、西側の地層断面地帯に向かう。 14:25、地層が剥き出しになった地帯に到着する。運転手さんによると、道路敷設工事の際に偶然発見されたようだが、地層のバウムクーヘンとも言うべき光景が、数百メートルにも渡って続いている。また、”伊豆大島ジオパーク・データミュージアム"には、『この地層の大切断面は伊豆大島の火山噴火史を物語る証です。100層ほど積み重なった見事な縞模様は、おおよそ150年前後に1度と言われている大噴火によってスコリア火山灰主体の降下堆積物で形成されています。』とある。してみると、15,000年にも及ぶ噴火の歴史が刻まれた場所であり、火山学者にとっては、貴重な研究現場と言えよう。更に、この地層は単純ではなく、褶曲や断層作用を受けた痕跡も見受けられる。ふと、"カラコルム山脈(2010年3月30日参照)"や"チベット高原(2003年7月27日参照)”の光景が思い浮かんだが、何れにせよ、壮大な地球の造山運動の事例と言えよう。ここから、元来た岡田港に戻る。 今回は、昨年に引き続き、大山さんと共に伊豆大島を訪問した。途中から天気も好転し、十二分に伊豆大島を堪能することができた。次回は、ゆっくりと島内を探訪したい。 ★活動量計データ(上り階段数:240,早歩き歩数:3842,総歩数:9,689,歩行距離:7.6km,活動カロリー:1,004kcal,一日総消費カロリー:2,742kcal,脂肪燃焼量:44.4g) |