*** 2019年4月12日 皇居周辺の桜 ***
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4月12日(金)、東京地裁で打ち合わせがあったので、早めに出かけて、皇居周辺を散策することにする。思えば、20数年前の"地下鉄サリン事件"の際、東京地裁前のA1出口から、被害にあった方々が救出される場面がテレビ中継されたが、今でもそのシーンが私の脳裏に鮮明に残っている。ここを出てから東京地裁前を通り過ぎ、皇居の"桜田門"に向かう。最近、カルロス・ゴーン他の重大事件の度毎に、この高層ビルが放映されるので、私も同じ角度から撮影することにする。交差点まで来ると、その先に"桜田門"が望める。江戸末期、"桜田門外の変"があった場所だが、旧彦根藩邸が桜田門から約600m離れた所(現在の警視庁辺り)にあった関係で、井伊直弼が登城する際、桜田門の手前(外)で水戸浪士等によって暗殺されたことになる。この事件を扱った同名映画は、2010年に公開され、そのオープンセットも水戸市の千波湖辺りに残されていたが、現在は取り壊されてしまったようである。2013年に、大山さん/小林君/私で訪れた際の写真(2013年2月22日参照)を改めて眺めてみると、"桜田門"やその奥の"渡櫓門"が寸分違わぬ姿で再現され、雪景色も旨く表現されていることが分かる。また、No.60の写真からすると、"夢"と書かれた垂れ幕のある門を出て、"井伊直弼"一行が登城している際に、"桜田濠"に架かる橋の手前で襲われたことになる。事件の首謀者・水戸浪士"関鉄之助"は、二年余り逃亡した末捕らえられ、斬首の刑にあっている。これもテロの一種であり、如何なる理由が有るにせよ、許されるものではないが、故郷太子町では今でも人気者のようである。我に返り、"桜田門"を潜ると、"渡櫓門"の脇に、"ソメイヨシノ"が目に留まる。近づいてみると、花芯は既に赤くなっており、散る寸前であることが実感できる。余計なことであるが、人間も散り際は、潔くしたいものである。日比谷公園近くまで来ると、お濠に水鳥が浮かんでいる。"カモ"かと思ってカメラを向けたところ、何と"オオバン"である。この鳥が、皇居のお濠まで勢力を拡大しているのは驚きだが、水質悪化が原因でないことを願うばかりである。二重橋までくると、多くの観光客が押し寄せており、風貌/話し言葉から、殆どが外国人のようである。中には、バリケードをすり抜けて記念撮影をする猛者もおり、警備員から警笛を鳴らされている。時間が迫ってきたので、ここで引き返すことにする。 |