*** 2017年3月16日 残雪の三原山 ***
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3月16日(木)に、何時もの大山さんと、伊豆大島・三原山(標高758m)に初挑戦する。ただ、お互いに居住地が異なる関係で、大山さんは東京竹芝桟橋から、私は久里浜港からの乗船と相成る。三原山は、年明けに吾妻山公園から眺めたばかりだが、未だに訪れたことはなく、謂わば近くて遠い存在であったと言える。だが、ネット上で検索したところ、意外や高速ジェット船で日帰りも可能と分かり、週刊天気予報を見計らった結果、晴天が予想される椿祭り開催中に訪問を決める。一方、前日は箱根で降雪があった模様で、場合によっては、雪の三原山も期待できそうである。 07:50、自宅を後にし、車で久里浜港に向かう。ここで、東京竹芝桟橋から来たジェット船に乗り換え、伊豆大島を目指す。所要時間は僅か一時間、流石に高速ジェット船(時速80㎞)と言いたいところだが、二階席であったせいか、スピード感は余り感じられない。横揺れも殆どなく、乗り心地は良好である。ただ、最終寄港地は、パンフレットにも記載されていなかったので、メインの元町港かと思いきや、何と北東側の岡田港に着岸する。ここで、大山さんと合流し、路線バスにて、登山口となる"三原山頂口(標高560m)"に向かう。途中、"椿花ガーデン"を通過する。嘗て、ここは"椿花ガーデンリス村"と呼ばれていたが、その際、飼っていた"台湾リス(2016年2月27日参照)"が逃げ出して島内で野生化し、全島の生態系を破壊した模様である。更に、ここだけに留まらず、三浦半島に連絡船経由或いは人手によって上陸したあと、逗子⇒鎌倉⇒藤沢⇒横浜(戸塚)と猛烈な勢い繁殖し、鎌倉市では実際に駆除の対象になっている。我が戸塚でも、近年よく見かけるようになったが、愛らしき"エゾシマリス(2010年9月30日参照)"と違って図体も大きく、時としてネズミのお化けのように見えなくもない。見てくれはさて置き、実際に日本リスの絶滅を招くだけでなく、野鳥の卵や雛も捕食することから、鳥類にとっても脅威である。早急に神奈川4都市が一致協力して、対策に当たるべきであろう。 11:25、"三原山頂口"に到着する。ここからアスファルト舗装された約2㎞の遊歩道が、火口丘へと続いている。この始点に当たる展望台からは、広大な裾野を有する三原山が悠然と聳えており、その左側には白銀に輝く"剣ヶ峰(標高749m)"が確認できる。正に期待通りの光景に出会えたことになり、この先の撮影が楽しみである。ここから一旦遊歩道を下って中間点付近まで行くと、その脇に溶岩流の末端が現れる。ガイドブックによると、この溶岩流は、1986年噴火の際に生じたもので、その周辺の不毛地帯と思しき場所にも、どこかで見かけたような植物が芽吹いている。ここで一寸道草して観察してみると、何処となく、谷川岳山麓スノーシューウオーク(2015年3月10日,11日参照)の際に見かけた"ハンノキ"に類似している。だが、芽の向きが上下で異なっており、どうやら別種のようである。改めて、ネット上で"伊豆大島"&"植物"をキーワードに検索してみると、東京学芸大学紀要『伊豆大島における植物が与える玄武岩風化への影響』がヒットする。本論文の序章には、「本研究では特に,土壌有機物や栄養塩類が全くない溶岩地帯に,はじめに根を下ろすパイオニア植物のひとつである"オオバヤシャブシ"の根元の溶岩及びスコリア堆積物に注目し,溶岩およびスコリア堆積物がどのように風化されているかを明らかにすることを目的とした.・・・」と有り、どうやら、木名は"オオバヤシャブシ"のようである。改めてこの名で再検索すると、樹木図鑑のサイトに学名はカバノキ科ハンノキ属とあり、"ハンノキ"にそっくりなのも納得できる。更に本論文には、「オオバヤシャブシはフランキア(放線菌)と共生関係にある.フランキアは根粒菌のひとつで空気中の窒素を(アンモニアとして)固定し,植物に供給するはたらきを有する.・・・」とあり、これが栄養分の乏しい溶岩台地でも繁茂できる理由と言えよう。更に、植物にとって余分なアンモニアは、硝酸細菌(Nitrobacter)により亜硝酸イオンに酸化され、溶岩をも風化させると共に、酸性に弱い植物の着生を妨げることになる。何れにせよ、一見生物に適さない溶岩地帯でも、凄まじい生存競争が繰り広げられていることが納得できる。次に、火口丘に向かって歩いて行くと、溶岩流も、アーチ状のシェルターを越える高さになる。来た道を振り返ると、この溶岩流の先に外輪山"鎧端(よろいばた)"が望める。この尾根ルートが、表砂漠コースの一部になっており、機会があれば一度挑戦したいものである。 12:04、ここから愈々火口への登坂が始まる。傾斜はなだらかで、特に息切れも生じない。だが登るにつれ、ボディーブローのように効いて来て、急にスピードが鈍るようになる。大山さんも、何時もと違って中々ピッチが上がらない模様である。日陰には、昨日積もったと思しき雪が点在しており、登るにつれて、その量が増していく。剣ヶ峰の雪景色が楽しみである。 12:20、九十九折の坂道を登り切ると、"お鉢巡り"の分岐が現れる。その左手奥には、雪を頂いた"剣ヶ峰"が望める。ただ、春の淡雪は融けるのも早いと思われるので、先ず雪景色を求めて、そちらに向かうことにする。5分程歩むと、その山腹が露わになり、そこから何本もの噴気が確認できる。右手の雪が積もった火口原の先には、三原山噴火口が大きく口を開けている。緩やかな坂道を登っていくと、小ピークが現れ、その脇から割れ目が東西方向に走っている。立て看板には、86年に"割れ目噴火"したB火口とあるが、意外と幅は小さいく、ここから大量の溶岩が流れ出たとは、俄かに信じ難い。Wikipediaによると、最初に中央火口が噴火して、西方の遊歩道まで溶岩を流出し、更にその1週間後に、このB火口から"割れ目噴火"して、北方のカルデラにも溶岩が流れ込んだようである。当時、"割れ目噴火"なる用語が初めてマスコミでも使われ、流行したように記憶している。緩やかな坂道を登り"剣ヶ峰"の脇を通過すると、ここが"お鉢巡り"の最高点だけあって、風辺の積雪量も増え、絶景が広がっている。ここで暫し撮影に熱中したあと、三原山噴火口が間近に望めるポイントに向かう。南方には、利島が霞んで見える。 13:00、火口の絶景ポイントに到着する。眼下には雄大な火口が広がっているが、火口底は土砂で埋まり、その北壁周辺から僅かな噴気が上がっているのみである。周辺には硫化水素の異臭は漂っておらず、先程の"剣ヶ峰"の噴気同様、安全な水蒸気性の模様で、火山活動も休止状態にあるようである。道端の看板には、直径300~350m,深さ200mとあり、富士山や羊蹄山(2008年9月14日参照)の略半分の直径であるが、深さは何故か同一である。この径の差が、爆発エネルギーに正比例するか否か不明で、興味が湧くところではあるが、これ以上深入りしないことにする。出来れば、三原新山山頂から火口全体を覗きたいところだが、コースから外れるのは厳禁なので、諦めざるを得ない。ここから分岐点に向かって下っていたところ、火口に向けて逆方向に歩く観光客が目に留まる。我々も分岐点まで戻り、"火口見学道"を通って、再度火口を観察することにする。 13:27、"火口西展望所"に到着する。先程の絶景ポイントに較べて高度が下がったせいか、迫力は今一つであるが、代わりに火口壁の構成がより詳細に分かる。つまり、火口東側には、大別して三層の赤色地層が確認できるが、これらは歴代の噴火によって生じた溶岩湖内の鉄分が、徐々に空気中の酸素と化合して生じた酸化鉄と考えられる。一方、火口西側は、全体が黒灰色になっており、86年にここから溶岩が西方に流出したため、左半分が玄武岩に覆われた結果ではなかろうか。従って、この奥には赤色の地層も隠れていると思われる。更に、火口壁最上部は、黒灰色の薄層に覆われており、柱状節理と思しき部分も確認できる。これは、86年の溶岩湖が、比較的短時間に凝固/結晶した結果と考えられる。私自身は、火山に関しては全くの素人だが、自分なりに考察することは、楽しいことではある。ここから元来た道を戻り、"火口展望台(兼避難小屋)"で遅い昼食を取ったのち、帰路に就く。 今回は、大山さんと共に、日帰りで三原山に初挑戦した。晴天にも恵まれ、十二分に三原山を堪能することができた。機会があれば、別ルートから再挑戦したい。 ★活動量計データ(上り階段数:1470,早歩き歩数:6337,総歩数:15527,歩行距離:12.2km,活動カロリー:1168kcal,一日総消費カロリー:2887kcal,脂肪燃焼量:53.5g) |