*** 2017年4月14日 茨城県高峯の山桜と加波山登山 ***
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ネット上の山桜開花情報を元に、当初来週17日(月)桜川市訪問を予定していたが、当日雨天の確率が高くなったので、大山さんと相談の結果、予定を3日繰り上げて14日(金)に決行する。思えば、2012年に初めて当地を訪れて以来、これで6度目となるが、ここ数年登山も兼ねていたので、今回は高峯の西方にどっしりと聳える"加波山(標高709m)"に初挑戦することにする。この山は、標高自体は大したことないが、筑波山系第二の高峰で、平野から一気に700m余りも立ち上がり且つ広大な裾野を有する姿は、付近一帯を圧している。そのせいか、古来、近場の"筑波山"と共に、山岳信仰の対象となっている。何れにせよ、大山さんの案内で、この霊山に初めて分け入ることになる。 6:55、何時もの笠間PAにナビをセットし、自宅横浜を後にする。距離にして157㎞、首都高速の朝の渋滞を考慮すると、2時間半はかかろうか。だが、首都高速横羽線で朝の渋滞に少々巻き込まれたものの、2時間10分で現地に到着する。エリア内の売店で、土産品を物色していたところ、程なくして大山さんが到着する。早速本日のルートについて相談した結果、先ず池亀のKさん宅を訪問したあと、手短に平沢の撮影スポットを巡り、門毛に迂回して北側から"高峯第二展望台"に向かうことにする。 9:54、Kさん宅前に到着する。道端に我々の車を停め、庭を縁取る芝桜を撮影するが、昨年と違って何となく花壇が荒ているように見える。その内、大山さんが目ざとくKさんを見つけ、庭に立ち入ると、先ず猛犬の大歓迎(?)を受ける。玄関先でKさんと一年ぶりに挨拶を交わすと、早速夜中に猪が庭に侵入し、花壇の球根を食い荒らした旨を知らされる。現場に近付くと、乱雑に抉れた穴が確認でき、球根を漁ったというよりは、体の寄生虫を落とすため、土の上をのたうち回った跡のように見える。これで、庭を縁取る芝桜が途切れていた理由が分かったが、その際、先程の猛犬が役目を果たさなかったことになる。まさか眠っていたわけではなかろうが、動物の世界でも、恐ろしさの余り、立ち竦んでしまい何もできないことがあるようである。Kさんは御年87歳、来年はここに居るかどうか分からないと仰るので、私の母の年齢を伝えると、笑いながら『では100歳まで頑張ります。』と返答される。自立心旺盛な方で、この生き方が認知症など寄せ付けないのであろう。来年の再会を願ってお別れする。 10:31、平沢の山桜撮影スポットに到着する。日程を早めたせいで、高峯の桜は未だ5分咲きというところだが、それでも中腹辺りまで、山桜が千切れ雲のように点在している。ただ、平日とあってか、人っ子一人おらず、閑散としている。その内、二人の男性が近寄ってこられたので、言葉を交わすと、Sさんと仰る地元の方で、毎日山桜の開花状況をチェックされているとか。このあと、車で平沢林道(4月10日から一般車両通行禁止)から、展望台に向かわれるようである。そうこうする内に、三々五々観光客が集まってきたので、我々はそろそろ退散することにする。やはり、このような地道な活動が、観光客を呼び込むのであろうか。ここから、一旦大きく栃木県側に迂回して、北側から高峰展望台を目指すことにする。 11:15、"第二展望台"北側にある駐車場に到着する。この周辺には、"キブシ"が長い花を垂らしている。一見すると、"オオバヤシャブシ"に似ているが、"キブシ"には"ヤシャブシ"のような茶褐色の雄花が無いので、それと分かる。そんな話をしつつ、展望台に向かっていると、一人の男性とすれ違う。何とも早いご帰還であるが、この前にも"都室山"を訪れ、見事な"イワウチワ"の大群落をご覧になってきたとか。"イワウチワ"と言えば、私自身は"イワカガミ(2015年5月20日参照)"の仲間であることぐらいしか知らないが、機会があれば、実際に、その優美な姿を写真に収めたいものである。数分で、高峯展望台に辿り着くと、林道側の山桜は満開になっているものの、肝心の崖下の滝桜は未だ3分咲き程度である。仕方が無いので、林道脇の山桜から撮影することにする。ここで、超望遠で"山桜"を撮影し、昨日湘南台で撮影した"オオシマザクラ(2017年4月13日参照)"と比較してみると、花と新芽が同時に出るのは共通しているが、花の色に微妙な差があることが分かる。つまり、"オオシマザクラ"は新芽が緑で花も緑がかった白であるのに対し、"山桜"は新芽が赤で花も赤味がかった白という点である。元の展望台に戻ると、木の間から、雄大な"加波山"が望め、その奥には"筑波山"の双耳峰が霞んで見える。ここから、山道を少し下って、西側斜面の山桜を撮影し、駐車場へと戻る。途中の乾燥した斜面には、"シロバナツクバキンモンソウ"や"オカスミレ"と思しき花々が、可憐な姿を見せている。ここから一旦山を下って、街中で昼食を取り、"加波山登山口"に向かうことにする。 13:34、"加波山登山口(三合目)"に到着する。大山さんの登山計画書には、標高約180mと有るので、標高差は529mとなり、私にとっては、久々のハードな登山となる。登山口の先には、緩やかな石畳の道が延々と続いている。これは、採石を運ぶトラック用道路で、そこを30分程もかかって登り切ると、右手に採石場が現れる。大山さんによると、この一角で良質の花崗岩を産出するだけでなく、加波山全体が花崗岩の大山塊とのことである。改めて、"グーグルマップ"の航空写真でチェックしてみると、加波山から筑波山にかけて、山並みが馬蹄形状に連なっているのが確認できる。更に、2012年に筑波山に登った際も、花崗岩に覆われていたことから、海底から隆起して浸食を受けた後に、硬い花崗岩の部分が山並みとして残った結果と考えられる。採石場を過ぎると、自然の山道となり、薄暗い杉林の中を黙々と登ると、道端の岩の間から、可憐な"ニリンソウ"が顔を出している。何とも心和む姿である。 14:55、7合目に辿り着く。暫くすると、薄暗い山道脇に、一輪の"カタクリ"の花が目に留まる。改めて辺りを確認してみたが、この一輪しか見当たらない。だが、花弁が下を向いていたので、腹這いになってこの愛らしい姿を物にする。朝出がけに、偶然花好きのSさんに出会い、桜川市に山桜撮影に出かける旨を話したところ、『カタクリの花も良いですね!』と仰ったのを思い出す。Sさんの願いが通じたとも言えそうである。その後、可憐な"コミヤカタバミ"や真っ赤な"アオキ"の実を撮りつつ、順調に高度を稼いでいく。 15:34、"加波山神社山頂拝殿(標高638m)"に到着する。東日本大震災で傾いたと思しき石段を登り切ると、左右に立派な社殿が現れる。だが、その間から石段が上へと続いており、山頂はまだまだ先のようである。そこで一旦小休止して、辺りを散策することにする。無人の社務所の傍には、天狗伝説の証とも言える巨大な下駄が置かれているが、天狗が実在するか否かはさて置き、当地が北関東の修験道の中心地であったのは確かであろう。私の近場では、大山(神奈川)や高尾山(東京)がそれに相当するが、奥羽地方では出羽三山(羽黒山,月山,湯殿山)が名高く、この羽黒山の山伏の行状を、同郷の作家・藤沢周平が、小説"春秋山伏記"にユーモラスに纏めている。余談ではあるが、藤沢周平の唯一の現代小説『白き瓶』には、茨城県(現常総市国生)が生んだ歌人/作家・長塚節の生き様を、交わされた膨大な手紙や"アララギ"他の機関誌を基に描いており、正に渾身の一作のように思える。嘗ての私の身上書の愛読書欄が、長塚節の『土』であったのも、何かのご縁であろうか。少々道草したが、ここから最後の石段を一歩一歩登っていくと、次々に社殿が現れ、その頂きに建つのが本殿ということになる。規模は違うが、芦ノ湖畔にある箱根神社と箱根駒ヶ岳山頂に建つ箱根元宮の関係に類似している。ここから、落葉に覆われた急斜面を、用心しながら下って行くと、各所に猪が掘った穴が見受けられる。この分だと、何時鉢合わせしてもおかしくないので、脱兎の如く立ち去りたいところだが、足腰が悲鳴を上げだしたので、休み休み下ることにする。結局、昨年の"奥久慈男体山(2016年11月8日)"以上に、ハード且つ長い下りと相成る。 今回は、昨年に引き続き、山桜の絶景を求めて、大山さんと桜川市を訪問した。山桜は丁度見頃ではなかったが、KさんやSさんの温かい人柄に接し、茨城の魅力を再認識することとなった。機会があれば、"イワウチワ"咲く都室山や長塚節の生家も訪れてみたい。 ★活動量計データ(上り階段数:450,早歩き歩数:1532,総歩数:12076,歩行距離:9.5km,活動カロリー:1432kcal,一日総消費カロリー:3151kcal,脂肪燃焼量:52.8g) |