*** 2018年10月26日 相馬山の秋 ***
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主治医の許可が出たので、略一年ぶりに登山を再開する。ただ病み上がりもあって、今回は標高差を求めず、精々300m程度に留め置くことにする。大山さんと相談の結果、10月26日(金)は榛名山系第二の高峰"相馬山(標高1411m/標高差291m)"、27日(土)は谷川岳山麓の紅葉を楽しんだ序に、第一見晴(標高1130m/標高差約300m)"まで、足を延ばすことにする。なお、約3年前(2015年10月27日参照)に、最高峰の"掃部ヶ岳(標高1449m)"に登った際に、山頂から撮った"榛名山(標高1391m)"の後ろに"相馬山(N.46)"が写っており、登山意欲を駆り立てる急峻な山容と共に、"榛名山"より高いことも確認できる。 10:10、新湘南バイパス入口手前や圏央道各所で渋滞した関係で、待ち合わせ場所の"松ケ沢駐車場"には、約40分遅れで到着する。早々に到着した大山さんには、図らずも1時間以上お待たせする結果となったが、先ずお詫びを言って、本日の予定を打ち合わせする。だが、周辺は全くの視界不良で、真北に鎮座する筈の"榛名富士"も、厚い雲に隠れたままである。よって、駐車場の色付いた木々を順次撮影したのち、大山さんの車で"相馬山"近くの"ヤセオネ駐車場"に向かうことにする。これにより、更に標高差が241mに縮まることとなる。 10:35、"ヤセオネ駐車場"に到着すると、丁度中高年の男女御一行が、"相馬山"に向かって出発するところにぶつかる。我々は、急ぐ登山ではないので遣り過ごし、徐に駐車場周辺の紅葉や黄葉を撮影していたところ、今度は賑やかな歓声が背後から聞こえてくる。振り向くと、生徒の一団で、お揃いのジャージを着ているので、どうやら校外学習の一環のようである。我々も彼等の元気な声に勇気を貰い、山支度をして出発しようとしたところ、重大な失敗に気付かされる。何と、私だけトレッキングシューズに履き替えることなく、ウオーキングシューズのまま来たことが分かる。ただ、これ以上の時間ロスは忍びないので、細心の注意を払ってこのまま登ることにする。我々が写真を撮りつつ、"関東ふれあいの道"をスローペースで進む間にも、生徒達がどんどん追い抜いていく。その際、大山さんが確認したところでは、前橋西高の生徒で、何と麓から登ってきたとか。彼等の体力には圧倒されるばかりだが、夫々に個人差があり、最後尾の生徒が到着するまで、"相馬山"との分岐点で、引率の先生が待っておられる。暫しこの先生と立ち話をしたところでは、前橋高校のような進学校ではなく、そこそこのレベルとか。私のつたない経験からしても、そこそこで十分であり、それ以降伸びるか否かは、本人の自覚と努力次第と言うことになろう。 11:16、第二の鳥居を抜けると、急に傾斜がきつくなると共に、露座の祠が現れ、正に霊場の雰囲気となる。本来なら、周辺からお椀を伏せたような山頂が望める筈だが、本日は濃霧に覆われ数m先でさえ定かでなく、足元に用心しながら黙々と登って行くと、約7分で最初の鉄梯子が現れる。お互いにすれ違えるためにか、二本設けられているが、永年の使用に耐えたせいで中央が凹んでおり、ここを恐る恐る登って行く。この難所を抜け、第二の鳥居を潜って暫く登ると、第二の鉄梯子が現れる。ここを、何と先程の中高年と思しき御一行が、早くも下山してこられたので、暫し手前で待つことになる。見ていると、この垂直の鉄梯子を、前向きに下っており、足元が見えないせいか、遅々として進まない。だが、全員が下り終えたところで、"あら!"と歓声が聞こえる。何と、大山さんの地元の山仲間とか。お互いに、本日の予定を御存知なかった模様で、正に"シンクロニシティー"の典型と言えよう。立ち話の中で、早々の御帰還の理由は、足腰の弱い女子組のみ、途中から引き返されたためと分かる。標高が上がったせいか、足元には可憐なコミネカエデの紅葉が見られる。 12:10、第三の鳥居を潜ると急に明るくなり、山頂に躍り出る。ここには、"黒髪山神社"の社(実際は小屋風)があり、その脇には立派な石垣の上に数体の石像も立っている。これらの石像や周辺の紅葉を撮り終え社に近付くと、何と入口が開いおり、その隙間から白装束の山伏風の方が、何やら準備に勤しんで姿が垣間見える。そこで、挨拶を交わして断った上で、この光景をカメラに収めさせて頂くことにする。ところで、山伏と言えば、頭襟(ときん)と称する小さな帽子を付けるものと思っていたが、この方はハチマキだけである。ふと、昨年訪問した"加波山(2017年4月14日参照)"や出羽三山を舞台にした藤沢周平の小説"春秋山伏記"が思い浮かぶが、実際に山伏の姿を見るのは今回が初めてである。山頂で昼食を取ったのち、下山しかけたところ、社の戸が開いて、中に招き入れられる。そこで、改めて祭事の光景を順次写真に収めさせて頂くと共に、我々も末席で祭事に加わることにする。祭壇横には、立派な法螺貝も置いてあるので、やはり神官ではなく山伏と言うことになろう。約20分程で祭事も終わり、護摩も下火になったので、改めてお名前を伺うと、何と大山さんと同姓で、出身地は私と同じ兵庫県とか。5歳から祭事を始められ、20歳で兵庫県の総社で資格を取得されたようである。私も総社と聞いて、咄嗟に場所のイメージが思い浮かばなかったので、帰宅後改めてネット上で調べてみると、兵庫県姫路市総社本町がヒットする。この姫路城南に位置する場所に、実際に"射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)があり、中々荘厳且つ格式の高い神社のようである。大山さんの実兄や私の義兄が、嘗て姫路市内の企業にお世話になっていたのも、何かのご縁であろうか。このように、偶然会った人と、姓名を始め多くの共通点を有する場合も、"シンクロニシティ―(意味のある偶然の一致)"と考えて良さそうである。ここから元来た道を下り、"関東ふれあいの道"との合流点に向かう。 13:45、危険地帯を脱し、ここからはひたすら坂道を下って行くだけであるが、暫く歩む内に、Oさんと思しき方が吹き鳴らす法螺貝が、林間に木霊するようになる。この音を聞きながら、更に10分程下って行くと、急に視界が開け、"リュウノウギク"の大群落が現れる。これまでも、薄暗い登山道脇で何度か見かけたが、やはり大群落を作るには、十分な日照が必要と言うことであろうか。周辺には、色付いた"ハクサンタイゲキ"も群落を作っている。初めて見かける草だが、ふと、道南の山々で何度も見かけた"ハイオトギリ(2009年10月19日参照)"が思い浮かぶ。平坦地まで下ってきて、"ゆうすげの道"に入ると、可憐な"マツムシソウ(2001年7月28日参照)"が目に留まる。Aさん/岩原さんご夫婦と、三つ峠(標高1785m)に登った際に見かけた思いで多き花である。現在は、絶滅危惧種に指定されているようだが、心無い人間に採取されないことを願うばかりである。なお、虫の姿に似合わない奇妙な名前だが、ネット情報によると、マツムシが鳴く頃に咲くので、そう名付けられたとか。"松ケ沢駐車場"に戻り、今度は私の車で、"掃部ヶ岳"登山口にあるホテル庭園の紅葉撮影に向かう。 14:58、ホテルに到着すると、名前が"榛名吾妻荘"から"林間学校榛名湖荘"に変わっているが、前庭の"ドウダンツツジ"や"ニシキギ"の艶やかさはそのままである。ホテル裏側には、新しい名前に相応しく、長テーブルや長椅子が設けられており、ここが実習場所と言うことになろう。奥の斜面の雑木林も、艶やかなグラデーションを見せており、これらを順次撮影することにする。最後に、大山さんが、ホテル横に植わっている"ドウダンツツジ"に気付いたが、正に目の覚めるような明るい朱色をしている。"ドウダンツツジ"にも、明るい赤から濃い赤まで、様々な色合いを見せのが実感できる。ここから、"ヤセオネ峠"に立ち寄り、大山さんの車をピックアップして、本日の宿・水上水明荘を目指す。 今回は、何時もの大山さんと、3年振りに榛名山周辺を訪れた。生憎の天気であったが、霊山"相馬山"では、二度もの"シンクロニシティ―"に出会え、この存在と摩訶不思議さを実感することとなった。ユングに肖る訳ではないが、機会があれば、私自身も"シンクロニシティー"を研究してみたいものである。明日は、愈々絶景が期待できる谷川岳である。 ★活動量計データ(上り階段数:100,早歩き歩数:1,252,総歩数:7,144,歩行距離:5.6km(本年累計:1,509.3km),活動カロリー:1,080kcal,一日総消費カロリー:2,818kcal,脂肪燃焼量:43.3g) |